ロンドンでの転換とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ロンドンでの転換の意味・解説 

ロンドンでの転換

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 03:12 UTC 版)

エズラ・パウンド」の記事における「ロンドンでの転換」の解説

初期パウンドの詩は、ラファエル前派等の19世紀詩や、中世ロマンス文学の他、多く新ロマン主義的・オカルト / 神秘主義的哲学読んだことが刺激となって書かれているロンドン移住した頃、パウンドは、フォード・マドックス・フォード (Ford Madox Ford) 及びT.E.ヒューム影響下に、詩人として自分作り直そうとする試みの中で、詩におけるあからさまに古代的言い回し形式放棄し始めたパウンドは、W.B.イェイツのことを、存命詩人の内では最も偉大だ信じていて、イギリス来てから彼と交友を結ぶようになり、遂には、このアイルランド詩人秘書として雇われることになったパウンドは、イェイツオカルト的な信条にも興味持ったパウンドイェイツ二人は、互いにそれぞれの詩作モダニズム的にするのを助け合った大戦中、パウンドイェイツとは、イギリスサセックスのストーン・コテッジ (Stone Cottage) で共に暮しながら、日本文学、特に能を研究したパウンドは、1914年に、芸術家のドロシー・シェイクスピア (Dorothy Shakespear) と結婚した第一次世界大戦以前にあってパウンドは、イマジズム及びヴォーティシズム登場引き起こした主要人物だった。これら二つ運動は、ジェームズ・ジョイスウィンダム・ルイス(Wyndham Lewis)、ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ、ヒルダ・ドゥーリトル、リチャード・オールディントン (Richard Aldington)、マリアンヌ・ムーア (Marianne Moore)、レベッカ・ウエスト (Rebecca West)、アンリ・ゴーディエ=ブルゼスカ (Henri Gaudier-Brzeska)等の詩人芸術家作品注目される一助となったものだが、英語でのモダニズム誕生における中心的な出来事看做しうるだろう。パウンドは、また、彼の友人エリオット創作し新しい詩感性一般注意向けさせることになった詩作品である『荒地』(The Waste Land)の編集行った。 しかし、戦争は、パウンド近代西洋文明への信頼打ち砕いた。彼は、戦後、『セクストゥス・プロペルティウスへの敬意Homage to Sextus Propertius)』(1919年)及び『ヒュー・セルウィン・モーバリー(Hugh Selwyn Mauberley)』(1920年)を出版すると、ロンドン立ち去った。これらの詩作品が、併せてパウンドロンドンでの活躍対す別れ挨拶であるとしたら、1915年からパウンド作り始めたキャントウズ』(The Cantos)は、彼の行く末指し示すのだった

※この「ロンドンでの転換」の解説は、「エズラ・パウンド」の解説の一部です。
「ロンドンでの転換」を含む「エズラ・パウンド」の記事については、「エズラ・パウンド」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ロンドンでの転換」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ロンドンでの転換」の関連用語

ロンドンでの転換のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ロンドンでの転換のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのエズラ・パウンド (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS