ロマンティシズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/10 07:58 UTC 版)
「アンティーク・ジュエリー」の記事における「ロマンティシズム」の解説
18世紀の終わりに始まるロマン主義は欧米のジュエリーの発展に大きな影響を与えた。現代考古学の誕生によって発見された財宝や、中世やルネサンス期の芸術こそおそらく人々にとってもっとも魅惑的だったのであろう。 産業革命の結果、いわゆる中流階級 (ミドル・クラス) の人々が財を成しジュエリーを求めて購入に走った。その結果、工業的技術、安い合金、代替宝石などを用いたペースト (人造宝石) やコスチューム・ジュエリーが開発される。優れた技術を持つ金細工職人は引っ張りだこであった。より裕福な後援者が自分の着けるジュエリーは一般大衆のものとは別格であることを示そうと高価な金属や宝石を使用するばかりか、芸術的にも技巧的にも優れた作品を求めたからである。フランスのフランソワ・デジレ・フロマン=ムーリス (フランス語版)こそ、並外れた才能を持った金細工師だった。 ロマン主義的な考え方に基づくモーニング・ジュエリー (喪装のジュエリー Mourning jewelry) はこの時期に特有のものである。英国のビクトリア女王が夫君のアルバート公亡きあと黒玉のジュエリーをしばしば身につけたことから、この慣習が始まった。これにより、愛する者の死に遭って喪に服している間もジュエリーを着け続けることが可能になったのである。 米国では1837年にチャールズ・ルイス・ティファニーがティファニー商会を創設すると米国は宝石業界から売り先として注目され始める。例えばエイブラハム・リンカーン夫人から受けた注文に応じて、ティファニーが目のくらむような金額の宝石を買い取ったなどから評判を高めていく。のちに映画「ティファニーで朝食を」を通して、大衆から人気を得るティファニーだった。 フランスではルイ=フランソワ・カルティエが1847年にカルティエ商会を創設し、イタリアでは1884年にブルガリが創業。こうして近代的な工房が生まれ、伝統的な個々の職人と後援者との関係がだんだん崩れてゆく。 東洋と西洋の美が初めて出会い、融合を試みたのもまたこの時期である。ドイツのフォーツァイム (Pforzheim) でドイツと日本の芸術家が共同作業で赤銅の細線細工 (フィリグリー) を生み出した。 次の時代への移行期を示すように、偉大なロシアの宝石商で芸術的デザイン感覚に優れたピーター・カール・ファベルジェが現れると、ロシア皇帝の注文に応じてインペリアル・イースター・エッグを製作する。作品には父グスタフ (宝石商) の工房で職人から受け継いだ技巧を駆使し、ファベルジェの「エッグ」とジュエリーの数々はいまだ宝飾職人にとって技術の粋と考えられている。
※この「ロマンティシズム」の解説は、「アンティーク・ジュエリー」の解説の一部です。
「ロマンティシズム」を含む「アンティーク・ジュエリー」の記事については、「アンティーク・ジュエリー」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からロマンティシズムを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- ロマンティシズムのページへのリンク