ロシア5人組に対するチャイコフスキーの個人的懸念
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「チャイコフスキーとロシア5人組」の記事における「ロシア5人組に対するチャイコフスキーの個人的懸念」の解説
チャイコフスキーが彼の支援者であったナジェジダ・フォン・メックと交わした無数の議論の中にロシア5人組の話題もあった。フォン・メックに5人組のメンバーについて伝えた1878年の1月までには、彼は彼らの音楽界や理想からは遠く流れ去っていた。加えて、5人組の最盛期は過ぎ去って久しかった。オペラや歌曲の作曲に多大な努力を行ったにもかかわらず、キュイは作曲家としてよりも批評家としてよく知られるようになっており、その批評の仕事も陸軍の技術者、堡塁建築の専門家としてのキャリアと時間の奪い合いとなっていた。バラキレフは音楽界から完全に身を引いてしまい、ムソルグスキーはますますアルコールへの依存の度を強め、ボロディンの創作活動は化学の教授としての公的な仕事に比べていよいよ目立たないものとなっていた。 リムスキー=コルサコフのみが音楽に専念して活発にキャリアを積んでいたが、かつてチャイコフスキーが批判されたのと似たような理由で彼も愛国主義の同業者からの非難に晒されることが増えていた。リムスキー=コルサコフもチャイコフスキー同様、自身の芸術家としての成長を衰えさせないためには、西欧の古典形式と技法を学び習得しなければならないと気付いていた。ボロディンはこれを「背教」と呼び、こう付け加えた。「コルサコフが背を向けたこと、音楽遺物の研究に身を投じたことに心を痛める者が多い。私は嘆かない。それは理解できることであり(略)」ムソルグスキーはより手厳しかった。「ロシア5人組は魂のない反逆者たちへと堕落した。」 チャイコフスキーが5人組の面々を分析する目は容赦のないものだった。彼の観察には一部に曲解や先入観もあったと思われるが、明快かつ正鵠を射た詳細も語っている。リムスキー=コルサコフを襲った創作危機については非常に正確な見立てを行った。また、ムソルグスキーが5人組の中で最も音楽の才能に恵まれているとしているが、チャイコフスキーはムソルグスキーの独創性が生み出す形式を高く評価できなかった。その一方で彼はボロディンの技術をひどく過小評価しており、バラキレフに対する評価は『ロメオとジュリエット』を彼の助力を得て構想、構成したことに照らせば当然あるべき高さに全く届いていなかったのである。 チャイコフスキーはフォン・メックに宛てて、ロシア5人組は皆才能に恵まれているが同時に自惚れを伴う「核」と「自分たちの優位性に関する全くの愛好家的な自信」に「汚染されている」と書いている。彼は続いてリムスキー=コルサコフの直観と音楽の訓練へと方向転換したこと、そして現在の状況を改善しようという努力に関するやや詳しい内容へ入る。その後、キュイを「才能ある好事家」と呼び、キュイの音楽には「独創性はないが器用で上品である」と書く。ムソルグスキーは「望みのないケース」とし、才能は勝っているが「思考の幅が狭く、自らの完璧を目指そうという衝動を持ち合わせない」。そしてバラキレフは「途方もない才能」を持つが、同時に「この奇妙な一団のあらゆる理論の総発案者」として「多くの害をもたらし」たと断じた。
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