ルイ・ポーランの飛行とクロード・グラハム=ホワイトの再挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/05 04:45 UTC 版)
「1910年のロンドン・マンチェスター間エアレース」の記事における「ルイ・ポーランの飛行とクロード・グラハム=ホワイトの再挑戦」の解説
クロード・グラハム=ホワイトの機体はロンドンに戻り、25日にはウォームウッド・スクラブズにあるデイリー・メールの格納庫で修理が行われた。その頃、ルイ・ポーランが、展示飛行を行ったカリフォルニアからドーバーに到着した。別の挑戦者として、エミール・デュボネが加わり、数日後に挑戦することになった。4月27日、クロード・グラハム=ホワイトの機体より新しいルイ・ポーランのファルマン IIIがヘンドン(英語版)より到着した。11時間未満で組み立てられた機体は、午後5時21分ルイ・ポーランの公式な出発地点であったハムステッド墓地を離陸した。10分後、ハーロウ上空に到達、ロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道の線路沿いに飛行を継続した。鉄道会社はこのイベントに際して、枕木を白く塗って正しい経路を辿ることを容易にしていた。機体を追う特別列車が仕立てられ、ルイ・ポーランの妻とアンリ・ファルマンが乗車した。他の関係者は自動車で後を追った。 クロード・グラハム=ホワイトは、同日の早い時間にテスト飛行を行う予定であった。しかし、集まりすぎた群衆が邪魔になり、離陸することが出来ずにいた。2日を機体の再建の監督に費やしていたため、近くのホテルで就寝した。午後6時10分、起床と共にルイ・ポーランが挑戦を開始したことを知らされ、後を追うことを決めた。この時、群衆によって離陸に必要な空間の確保を阻害されることは無かった。エンジンを始動し、6時29分にスタートラインを通過、1時間でレイトン・バザードに達したが、この時ルイ・ポーランはラグビーを通過していた。夜が迫り、ノーサンプトンシャーのロード(英語版)で線路沿いに着陸した。 私は歓声を上げ歌った。私の声は特段魅力的なものではないだろうが、空の上では気にするものは誰もいない。ラグビー付近で、20分ほど雨嵐が私に激しく叩きつけられた。私は雨中の飛行には慣れていないが、幸いにもそのためにどれだけ不快であっても飛行に影響を出すことはなかった。高度こそ様々なものを採ったが、一定のペースで飛行を続けることができた。 “ ” ルイ・ポーラン 15分後、ルイ・ポーランは117マイル(188km)地点にあるリッチフィールドに到着。この時点で燃料が尽きていたが、リッチフィールド・トレント・バレー駅(英語版)付近に着陸を成功させた。機体を地面に固定し、支援者と共にホテルで一泊した。同じ頃、クロード・グラハム=ホワイトはリャン博士の家に宿泊していた。両者は共に午前3時を再開時刻と考えていた。 未だ60マイル(97km)後れを取っていたクロード・グラハム=ホワイトは、歴史的な決断をするに至った。前例のない夜間飛行である。自動車のヘッドライトを誘導灯として、午前2時50分に離陸した。離陸して数分後墜落の危機に陥った。快適な位置に身を落ち着けようと前に伸びをしたところ、ジャケットがエンジンの点火スイッチに触れ、エンジンを停止させてしまったのである。だが、このミスは素早く回復され、飛行は継続された。夜の闇の中、駅の灯りを目標として飛行し、40分でラグビーに、3時50分にはヌニートンを通過した。飛行は順調であったが、エンジン出力に対して燃料・オイルの過積載が発生していた。標高の高い地点で飛行を維持できなかったのである。107マイル地点のポールズワース(英語版)にて着陸、この時ルイ・ポーランに10マイル(16km)まで迫っていた。 数分後、この追撃を予期していなかったルイ・ポーランが出発した。午前4時45分スタッフォード、5時20分クルーを通過し、5時32分ディズバリー(英語版)近くのバルシクロフト(Barcicroft)フィールドに着陸した。ここは、マンチェスターのデイリー・メールのオフィスから5マイル以内にあることから条件を満たし、懸賞金を獲得したのである。一行は、鉄道でマンチェスターに入り、市長による歓迎式典に臨んだ。ルイ・ポーランの成功を知らされたクロード・グラハム=ホワイトは、以下のような声を発したと伝えられている。 紳士淑女の皆様、10,000ポンドは、世界最高の飛行家ルイ・ポーランが獲得しました。彼と比べれば私は入門者に過ぎません。ポーランに万歳三唱を! そのまま就寝し、彼を置いてメカニックは機体の修理を行った。後に、ルイ・ポーランに祝電を送り、その成功を祝している。その後マンチェスターへの飛行を再開し、タムワース(英語版)まで到達したが、そこで飛行を取りやめている。
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