リン酸の不足とリン鉱石国産化への期待
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「恒藤規隆」の記事における「リン酸の不足とリン鉱石国産化への期待」の解説
欧米からの新技術、知見を導入していく中で、日本農業の課題の一つとして浮上したのが土壌のリン酸不足であった。まず1880年6月の勧農局地質課による「内国地質調査施行之主意」の中で、ナウマンは鉱物肥料の中でもリン酸は重要なものであるが、日本国内ではリン酸は発見されていないのでその発見は地質調査の重要な目的の一つであると指摘していた。 コルシェルトは日本の農地の多くが火山灰を淵源とする土壌で構成されており、人糞尿という特定の肥料を永年使用し続けてきた結果、リン酸、石灰等が乏しいという欠点があると指摘した。これは非火山性土壌の農地でも同様であり、日本農業の改善には施肥の改良、そしてリン酸などの肥料用鉱物の探査、確保が需要であると指摘した。恒藤も前述の1881年と1882年の秋から冬にかけての土壌調査と農業試験場での研究成果の発表の中で、土壌内のリン酸と石灰の不足が著しく、作柄に悪影響を与えているとしてそれらの施肥が重要であると指摘していた。 1882年11月にドイツ国内で土壌学を修め、実地の土壌調査で研鑽を重ねていたフェスカが土性掛長となると、恒藤ら駒場農学校を卒業したばかりの若手職員を擁した土性掛の活動は活性化する。フェスカは恒藤らに欧米の最新の土壌調査法について伝授するとともに、土壌調査とは単に土壌の特性を分析、研究することに止まらず、研究成果を実地の農業に生かしていくことが真の目的であると、実学としての土壌調査の重要性を強調した。周囲からは恒藤はフェスカの一番弟子と見なされていた。 フェスカは恒藤ら土性掛員とともに全国各地で精力的に土壌調査を進めた。フェスカもまた日本の土壌中にリン酸が欠乏していることに着目する。報告書や論文の中でしばしば日本の土壌のリン酸不足について言及しており、例えば1885年の甲斐国土性図説明書では、リン酸が甚だしく欠乏していると指摘している。また同説明所内で調査中に発見した石灰石について、農業上重要であるとして特記しており、農業に関係する鉱物資源にも着目したものになっていた。このようなフェスカの姿勢が、後に弟子である恒藤のリン鉱石探査に生かされていくことになる。 日本の土壌のリン酸不足に対して、フェスカは当時の日本で主に用いられていた人糞尿、魚肥、油粕、緑肥などではリン酸は十分に供給できないとして、リン酸肥料の施肥が必要であると強調した。しかし当時の日本ではリン鉱石は全く採掘されていなかったことがネックとなった。こうして国産リン鉱石の発見が重要な目標となっていく。このフェスカの見解は恒藤にも共有され、更には農学、農業現場にも広がっていった。 恒藤はフェスカに12年間に渡って師事した。甲斐国に引き続き武蔵国北部、岩代国、磐城国南部、肥後国と、フェスカと恒藤は全国各地の土性図説明書を発表していく。フェスカのドイツ帰国時、恒藤はフェスカについて、理論に長じ、農学の講義に際しては理論に加えて巧妙な比喩を説明に加え、錯綜した事柄を解りやすく説明したと紹介した上で、100名以上の多くの門下生を教育し、日本農業界に大きな影響を与えることを確信していると賞賛した。
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