リレー1号とは? わかりやすく解説

リレー1号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 06:35 UTC 版)

リレー (人工衛星)」の記事における「リレー1号」の解説

リレー1号は1962年12月13日ケープカナベラル空軍基地のLC-17Aから、デルタBロケットの上取り付けられ打ち上げられた。地球放射線帯マッピングするために設計され放射線計器積まれていた。遠地点は7500kmで近地点は1300kmであったスピン安定化衛星最初のスピン・レートが167.3rpmで、最初スピン配向は-68.3度の偏角と-56度の右上がり角を持つ。軌道周期は185.09分であった打ち上げ後すぐに2つ基本的な問題生じた1つは偽のコマンド対す衛星応答であり、1つ高出力レギュレータ漏れたことであった。この漏れにより最初2週間衛星運転は無意味となったこののち衛星運転は正常に戻ったトラッキングのためと遠隔測定のための送信機それぞれ1つ載せていた。遠隔測定システム1152ビット/秒PCMであった。1秒間遠隔測定フレーム当たり128指令出し粒子実験では113個を用いた漏れ問題により、1965年宇宙機を低電圧状態に戻した1965年2月10日まで散発的に送信が行われた。それ以降利用可能科学的データ得られていない。 リレー1号はアメリカから日本へテレビ放送する初の衛星であったオービット2677の最初放送1963年11月22日2027:42-2048 (GMT)、ダラス時間午後1時27分)はアメリカ合衆国大統領から日本国民暗殺2日前(1963年11月20日ホワイトハウスにて事前に録画されていたスピーチ放映する予定であったが、その代わりジョン・F・ケネディの暗殺伝えられた。オービット2678において、Record, Life of the Late John F. Kennedyという番組放送した。これはアメリカ日本同時に放送され最初テレビ番組であった。後のオービットで、NBCホワイトハウスから大聖堂への葬送放送したケネディ暗殺3日後、リレー1号は合計11ヨーロッパに8、日本に3)の地域放送統御した。衛星全ての有用な通信は、その悲劇的な出来事即時報道することを可能にした。 1964年8月1964年の東京オリンピック東京から放送を、アメリカ-ヨーロッパ間のリンクとして使用された。アメリカへはシンコム3号経由して送信された。2つ衛星テレビ放送のために一緒に使われたのはこれが初めてである。 COSPAR衛星IDは、1962-Beta-Upsilon 1 (62BU1)。

※この「リレー1号」の解説は、「リレー (人工衛星)」の解説の一部です。
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