リチャード・スモーリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 05:43 UTC 版)
Richard Errett Smalley リチャード・スモーリー |
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リチャード・スモーリー
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生誕 | 1943年6月6日![]() |
死没 | 2005年10月28日 (62歳没)![]() |
国籍 | ![]() |
研究機関 | ライス大学 |
出身校 | ミシガン大学 プリンストン大学 |
論文 | The lower electronic states of 1,3,5 symtriazine (1974) |
主な業績 | バックミンスターフラーレン |
主な受賞歴 | ノーベル化学賞(1996) |
プロジェクト:人物伝 |
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リチャード・エレット・スモーリー(Richard Errett Smalley, 1943年6月6日 - 2005年10月28日)は、アメリカ合衆国の物理学者、天文学者且つ化学者。フラーレンの発見の功績により、ロバート・カール、ハロルド・クロトーとともに1996年にノーベル化学賞を受賞した。
生涯
オハイオ州アクロンに生まれ、間もなくミズーリ州カンザスシティに移り、そこで幼少期を過ごす。基礎教育を受けた後、ホープ・カレッジに入学。後にミシガン大学へ転入し、1965年に学士号を取得。シェルに就職して企業研究員として、独自の経営手法を確立した。プリンストン大学から1971年にMSc、1973年にPh.D.を取得、その後はシカゴ大学でレナルド・ウォーストンとドナルド・レヴィと共に超音速ジェットを使用したレーザー分光学の研究を行いその先駆者となった。ライス大学に移籍し、1976年に助教授、1980年に准教授、1981年に化学科の教授に就任した。
その後、半導体や無機化合物の構造を解析するためにイオン共鳴質量分析器の研究を行う。この結果、ロバート・カールが暗黒物質の成分の研究を行っていたハロルド・クロトーに紹介される。彼らは研究の結果サッカーボールのような炭素の同素体、フラーレンを発見した。以後、類縁化合物のC70やカーボンナノチューブについて調べたり、金属を内部に有するフラーレンを作ったりした。他の主たる研究内容にはカーボンナノチューブを高圧化の一酸化炭素から作り出す方法(HiPco)の開発に参加したことがあげられる。2000年から2005年までカーボンナノテクノロジーズ社の取締役会長を務めた。
分子ナノマシンの構想には批判的であったが(別項参照)、ナノテクノロジーに関しては大いに期待していた。没年キリスト教に入信。白血病を患い、テキサス州ヒューストンで没する。
受賞歴
- 1991年 - アーヴィング・ラングミュア賞、アーネスト・ローレンス賞
- 1992年 - ウェルチ化学賞、ジェームス・C・マックグラディ新材料賞
- 1993年 - ウィリアム・H・ニコルズ賞、リヒトマイヤー記念賞
- 1994年 - EPS欧州物理学賞
- 1996年 - フランクリン・メダル、ノーベル化学賞
- 2002年 - グレン・T・シーボーグ・メダル
外部リンク
- Biography and Bibliographic Resources, from the Office of Scientific and Technical Information, United States Department of Energy
- The Richard E. Smalley Institute for Nanoscale Science and Technology - Rice University
- Smalley Group - Rice University
- Official Press Release: 1996 Nobel Prize in Chemistry
- Brief autobiography – From the Nobel Foundation website
- Nanotech pioneer, Nobel Laureate Richard Smalley dead at 62 – Rice University press release
- Carbon Nanotechnologies Inc.
- Interview: Nobel Prize Winner Dr. Richard Smalley – PBS Online NewsHour, "The Future of Fuel: Advances in Hydrogen Fuel Technology"
- Energy: the 50-year Plan – Chemistry.org
- Energy video of Richard Smalley – researchchannel.org
- Obituary by Harold Kroto, published in Angewandte Chemie
リチャード・スモーリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 15:05 UTC 版)
「分子ナノテクノロジーに関するドレクスラーとスモーリーの論争」の記事における「リチャード・スモーリー」の解説
詳細は「リチャード・スモーリー」を参照 ライス大学に在籍していた化学者リチャード・スモーリーは、1985年にハロルド・クロトー、ロバート・カール、ジェームズ・ヒース、ショーン・オブライエンらとともにC60フラーレン(バックミンスターフラーレン)と呼ばれる炭素同素体を発見したことでもっともよく知られている。カーボンナノチューブなどを含む同種の物質はフラーレンと総称されるようになった。フラーレンの研究と応用はナノマテリアルとナノエレクトロニクスの分野で重要な位置を占めるようになり、その発見によりスモーリー、クロトーおよびカールは1996年のノーベル化学賞を受賞した。 スモーリーはナノテクノロジーに関する公共政策決定でも際立った役割を果たしており、世界的なエネルギー問題や保健問題を解決するためにナノテクノロジーを応用することを精力的に唱道した。そこで提起されたのは、たとえばナノ材料を用いた効率的なエネルギー貯蔵と伝達(英語版)や、標的化ドラッグデリバリーのためのナノメディシンの可能性である。スモーリーはカーボンナノチューブについての学術研究を商業化することにも積極的で、カーボン・ナノテクノロジーズ社を創設したほか、バイオテクノロジーとナノテクノロジーに関連するスタートアップ企業2社で科学顧問委員を務めた。スモーリーはドレクスラーとの論争が決着を見た後に、2005年10月に白血病で死亡した。
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