ハロルド・クロトー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 14:13 UTC 版)
ハロルド・クロトー Sir Harry Kroto | |
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生誕 |
Harold Walter Krotoschiner 1939年10月7日 ![]() |
死没 |
2016年4月30日 (76歳)![]() |
国籍 |
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研究分野 | 化学 |
研究機関 |
フロリダ州立大学 サセックス大学 |
出身校 | シェフィールド大学 |
主な業績 | バックミンスターフラーレン |
主な受賞歴 |
ノーベル化学賞 (1996) マイケル・ファラデー賞 (2001) コプリ・メダル(2004) |
プロジェクト:人物伝 |
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サー・ハロルド・ウォルター・クロトー(Sir Harold Walter Kroto, 1939年10月7日 – 2016年4月30日[1])は、イギリスの化学者、王立協会のフェロー。フラーレンの発見により、1996年にロバート・カール、リチャード・スモーリーとともにノーベル化学賞を受賞した。ハリー・クロトーとも。
2004年よりフロリダ州立大学に勤めていたが、それまでは長年の間、サセックス大学に籍を置いていた。
少年時代
1939年に生まれ、イングランド東部のケンブリッジシャー州の町でハロルド・クロトシナー (Harold Krotoschiner) という洗礼名を受けた。この名前は、シレジアのクロトシン(ポーランド語: Krotoszyn, ドイツ語: Krotoschin)に由来している[2]。父親の家族はポーランドのボヤノヴォ に在住していて、母親はドイツのベルリンの出身であった。
両親はともにベルリン出身だったが、父親がユダヤ人であったため、ナチスから逃れて難民としてイギリスに渡ってきた。第二次世界大戦の間、彼の父親は敵国人として抑留されていた。この間、彼はランカシャー州のボルトンで育ち、ボルトンの学校に入学した。俳優のイアン・マッケランとは同級生だった。1955年、一家は苗字を短縮してクロトーと改名した[2]。
ハロルドは子供の頃、メカノに夢中になり、科学技術の腕を磨いた。彼はユダヤ人社会の中で育てられたが、宗教には全く興味を持たず、宗教が自分にとって意味をなすことはないと語っている[2]。彼は、人間主義、無神論、アムネスティ・インターナショナル主義、ユーモア主義の4つの宗教を信仰していると自称していた。彼は中等学校で化学、物理学、数学に興味を持ち、6年生の時の化学の教師(後に大学教授になるハリー・ヘンリー)の薦めもあり、シェフィールド大学に進学した。
1963年、マーガレット・ヘンリエッタ・ハンターと結婚した。
初期の研究
1961年、クロトーはシェフィールド大学で化学の学位を得て、1964年には同大学で博士号を得た。彼の博士論文のテーマは、光開裂によって生じるフリーラジカルのスペクトルの共鳴に関する研究だった。
クロトーの博士課程時代の研究では、炭素とリンが二重結合で結合した化合物の初めての報告や、複数の多重結合を持つ化合物の研究へと繋がる亜酸化炭素の研究など、論文になっていないものも多い。彼は有機化学への魅力から研究を始めたが、分光学について学んだ頃から、量子力学にも興味を抱き始めた[2]。
博士号を取得した後は、カナダの国立研究所で2年間、分子分光学を研究した。その後、ニュージャージー州のベル研究所で量子化学に取り組んだ。ポスドク研究が終わると、1967年よりイギリスに戻りサセックス大学で教鞭をとることとなった。1975年には教授になり、1991年から2001年には王立協会の教授を務めた。
その後の研究
サセックス大学での研究
クロトーはサセックス大学在籍時、主に不安定・半安定な化学種についての分光学的な研究を行っていた。これらの研究では、硫黄やセレン、リンなどの元素と多重結合を形成した炭素を含む化学物質群についての新たな化学分野を誕生させた。その中でも特に重要な成果として、リンに炭素が二重結合または三重結合した新たなリン化学種を扱う分野が誕生したことが挙げられる[3]。
1975年に同大学の教授となった頃、クロトーはマイクロ波による長鎖炭素化合物の測定を行い、またカナダの天文学者らと共同研究を行ったことで、炭素種が星間空間や赤色巨星などの特定の恒星の大気に比較的大量に含まれていることを明らかにした[4]。
初期にはシアノアセチレン分子が見つかっただけだったが、1975年から78年にかけて、クロトーのグループはさらに長シアノブタジイン (H-C≡C-C≡C-C≡N) やシアノヘキサトリイン (H-C≡C-C≡C-C≡C-C≡N) のスペクトルデータを得た。またそれらを説明する過程で、フラーレンの存在も見つけた。
バックミンスターフラーレンの発見

1985年、赤色巨星の大気中における化学反応をシミュレーションした実験室での研究により、凝縮した炭素蒸気中で安定した ノーベル化学賞受賞者 (1976年-2000年)
- ウィリアム・リプスコム (1976)
- イリヤ・プリゴジン (1977)
- ピーター・ミッチェル (1978)
- ハーバート・ブラウン / ゲオルク・ウィッティヒ (1979)
- ポール・バーグ / ウォルター・ギルバート / フレデリック・サンガー (1980)
- 福井謙一 / ロアルド・ホフマン (1981)
- アーロン・クルーグ (1982)
- ヘンリー・タウベ (1983)
- ロバート・メリフィールド (1984)
- ハーバート・ハウプトマン / ジェローム・カール (1985)
- ダドリー・ハーシュバック / 李遠哲 / ジョン・ポラニー (1986)
- ドナルド・クラム / ジャン=マリー・レーン / チャールズ・ペダーセン (1987)
- ヨハン・ダイゼンホーファー / ロベルト・フーバー / ハルトムート・ミヒェル (1988)
- シドニー・アルトマン / トーマス・チェック (1989)
- イライアス・コーリー (1990)
- リヒャルト・R・エルンスト (1991)
- ルドルフ・マーカス (1992)
- キャリー・マリス / マイケル・スミス (1993)
- ジョージ・オラー (1994)
- パウル・クルッツェン / マリオ・モリーナ / フランク・シャーウッド・ローランド (1995)
- ロバート・カール / ハロルド・クロトー / リチャード・スモーリー (1996)
- ポール・ボイヤー / ジョン・E・ウォーカー / イェンス・スコウ (1997)
- ウォルター・コーン / ジョン・ポープル (1998)
- アハメッド・ズウェイル (1999)
- アラン・ヒーガー / アラン・マクダイアミッド / 白川英樹 (2000)