ラーテナウとは? わかりやすく解説

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ラーテナウ (Rathenau, Emil)

ラーテナウという人は

エミール・ラーテナウ エミール・ラーテナウ

ドイツ 1838~1915

AEG社創立者

ハノーヴァー大学チューリヒ大学で学ぶ。 ベルリン機関車工場イングランド機械工場で技術者として働きベルリン小さな工場経営するに至る。 自分工場売却し企業設立機会探していたラーテナウは、1881年パリ国際電気博覧会エジソン展示見てドイツ国内におけるエジソン特許購入決意する

ラーテナウの主な経歴

1882年フランスエジソン社から特許購入する。 ”研究商会”というエジソン設備ドイツ国内で試すための冒険企業設立する

1883年、ラーテナウを社長としたドイツ・エジソン社が発足しミラーもこれに加わる。 電灯エネルギー伝送のための電気測定配分応用に関するエジソン特許全て工業的に使用することを目的として設立され特許使用料35マルクであったまた、当時ドイツ最大電気メーカーであるジーメンス・ハルスケ社と合意契約結んだ。 ジーメンス・ハルスケ社は、スワン白熱電球を今まさに試験製造しようとしていたところであったが、これにより中止された。 エジソン形の発電機をジーメンス・ハルスケ社が製造し、ドイツ・エジソン社が購入販売するという形になった

1884年ベルリンフリードリヒで100kW程度小さな発電所が運転を始める。 多く問題発生し需要家なだめている間に修理するといった状態であったようだ。

1885年ベルリンのマルクグラーフ街に754kWの発電所が運転を始める。 ここでジーメンス・ハルスケ社製のエジソン発電機使用された。 ニューヨークパールストリートとの違いパールストリート蒸気機関発電機が1:1であったのに対し、マルクグラーフは蒸気機関一基出力ベルト伝えていた点があげられるまた、1886年にはベルリンマウアー街に285kWの発電所が運転を始めた。 マルクグラーフとマウアー負荷劇場銀行飲食設備商店ホテル街灯といたところである。(すべて白熱電灯直流

マルクグラーフ発電所

マルクグラーフ発電所

 

1887年、ドイツ・エジソン社は再編成されAEG社となった順調に成績伸ばすドイツ・エジソン社に対しパリのそれは劣悪であり、ドイツパリエジソン社は関係が悪化していった。 強力な企業家求められヴィラードがその任に就く。 アメリカ・エジソン社からは独立し、ジーメンス・ハルスケ社との契約更新された。 資本金増額され発電所含めた電力インフラ事業加速していく。

1888年、マルクグラーフ発電所拡張1889年、シュパンダウアー発電所開業。 シュパンダウアーではジーメンス社による特別設計1000馬力多極発電機使用され低速蒸気機関直結された。 このあたりではエジソン技術力追い越していた。

エミール・ローラン・ラーテナウ

1900年にはAEG社電気機械電気装置メーカとしては、ジーメンス・ハルスケ社を超える白熱電球メーカーから10年たたないうちに、電力設備ひいては多相機を導入し電力インフラ事業を手がけ、1890年代には市街電車システム建設に力をいれた。 ジーメンス発明技術産業科学発展貢献したのに対し、ラーテナウは投資資本産業企業組織化されマーケティング会社発展させ、ドイツ電気産業成長貢献したといえる

AEG社の主な技術者たち

 





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