ラビー・スミスの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 23:53 UTC 版)
「シカゴ・ベアーズ」の記事における「ラビー・スミスの時代」の解説
2004年、ラビー・スミスが新ヘッドコーチに就任した。 2005年のドラフト4巡目にQBカイル・オートンを指名した。この年は11勝5敗の成績をあげて、チームを地区優勝を果たした。ディビジョナルプレーオフでカロライナ・パンサーズに21-29で破れシーズンを終えた。 2006年、チームは開幕から7連勝し、第9週にマイアミ・ドルフィンズに敗れて連勝は止まったものの、第13週に地区優勝を決定、13勝3敗でNFC第1シードを獲得した。ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスをオーバータイムの末、27-24で破り1988年以来となるNFCチャンピオンシップゲームに進出した。NFCチャンピオンシップゲームではトーマス・ジョーンズや守備陣の活躍で、ニューオーリンズ・セインツを39-14で破り、21年ぶりのスーパーボウル出場を果たした。ラビー・スミスは相手チーム、インディアナポリス・コルツのトニー・ダンジーと共にスーパーボウルに出場した初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチとなった。第41回スーパーボウルではデビン・ヘスターのキックオフリターンタッチダウンで開始14秒でベアーズが先制、第1Qにさらにレックス・グロスマンからムーシン・モハメドへのタッチダウンパスも決まり14-6とリードした。QBのグロスマンは28本中20本のパスを成功させたが2インターセプトを喫し、5点差だった第4Q初めにグロスマンのパスをインターセプトしたケルビン・ヘイデンに56ヤードのリターンタッチダウンを決められ、最終的に17-29で敗れた。 2007年3月5日、トーマス・ジョーンズをドラフト2巡指名権と引き換えにニューヨーク・ジェッツにトレードした。この年チームは7勝9敗に終わりプレーオフを逃した。 2008年、9勝7敗でプレーオフを逃した。シーズン終了後、契約最終年のグロスマンと延長契約を結ばず放出した。 2009年、デンバー・ブロンコスのプロボウルQBジェイ・カトラーをQBカイル・オートンやドラフト指名権と引き換えに獲得、サラリーキャップのためセントルイス・ラムズから放出されたオフェンスラインのオーランド・ペースを獲得した。 2010年、カロライナ・パンサーズからジュリアス・ペッパーズを、ミネソタ・バイキングスからチェスター・テイラーを獲得した。10月24日のワシントン・レッドスキンズ戦ではディアンジェロ・ホールに4インターセプトを喫し14-17で敗れた。NFC北地区優勝を果たし、ディビジョナルプレーオフでシアトル・シーホークスを破り、NFCチャンピオンシップゲームまで進出しグリーンベイ・パッカーズと対戦したが、第3Qにジェイ・カトラーが負傷退場、その後トッド・コリンズ、ケイレブ・ヘイニーがリリーフしたが敗れた。 2011年、開幕から連勝を続けるグリーンベイ・パッカーズからは離されたものの、マット・フォーテイがランとレシーブの合計獲得ヤード数でNFLトップの活躍などで5連勝し7勝3敗とプレーオフ出場を争っていたが、第11週にジェイ・カトラーが右手親指を骨折して戦線離脱、フォーテイも第13週に負傷し戦線を離脱した。控えQBのヘイニーが先発QBとなってから4連敗、ジョシュ・マカウンが先発QBとして最後の2試合に先発出場し、最終週のミネソタ・バイキングス戦に勝利し連敗を5で止めて8勝8敗でシーズンを終えた。シーズン終了後、パス偏重でカトラーとの確執も噂されていたマーク・マーツオフェンスコーディネーターが退団した。またジェリー・アンジェロGMも解任された。 2012年、第9週までの9試合で8勝1敗の成績をあげたが、その後3連敗するなど、残り7試合で2勝5敗、10勝6敗となり、タイブレークでプレーオフ出場を逃した。シーズン終了後、ラビー・スミス・ヘッドコーチは解任された。後任ヘッドコーチには、CFLのモントリオール・アルエッツヘッドコーチとして5シーズンで2度優勝しているマーク・トレストマンが就任することとなった。
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