ラテン語教会学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/29 01:26 UTC 版)
聖職者を養成する学校は、聖職者たちによって資金提供されることがよくあり、そこでは聖職者たちが教育にあたっていた。多くの歴史家の論によれば、1300年ころまでの中世イタリアにおいて、教育は教会によって独占されていたという。ラテン語教会学校は、12世紀頃には成立していたようであるが、イタリア独特の、より明確な形態をとったラテン語学校が登場したのは14世紀以降である。15世紀末のスペインの一部地域では、司祭や聖具保管係が他者に読み書きを教えることを、教会が奨励していた。 宗教改革以降の時代になると、教会の執行部や牧師を養成するために独自の発展を始めたプロテスタント系のラテン語学校の勃興に対して、カトリック教会は対抗策を打ち出そうとした。改革派のひとり、ジャン・カルヴァンは、ジュネーブ信仰問答(カテキズムのひとつ)とともにラテン語文法の教授も行なっていた。そうした実践にもかかわらず、改革派の一部には、俗語を用いる方がより効率的であることを踏まえ、礼拝におけるラテン語の使用を止めたいと考える者もいた。16世紀後半になると、カトリック側の対抗宗教改革(反宗教改革)が、公立学校制度の確立を後押しすることになっていった。イエズス会は、自ら各地に学校を設立し、無料でラテン語文法、哲学、神学、地理学、信仰教義、歴史などを少年たちに教えた。カトリック側の対抗宗教改革派にとっても、イエズス会にとっても、聖職者のみならず、平信徒にこうした教育を施すことが重要と考えられたのである。イエズス会は教育の意義を重視し、カトリックが優勢な各地において、ラテン語学校や他の中等教育学校の運営責任を他のカトリック系教団から引き継ぐこともあった。
※この「ラテン語教会学校」の解説は、「ラテン語学校」の解説の一部です。
「ラテン語教会学校」を含む「ラテン語学校」の記事については、「ラテン語学校」の概要を参照ください。
- ラテン語教会学校のページへのリンク