マーク・ダナヒュー(アメリカ)
1960年代のアメリカンヒーローのひとり。ピーター・レブソンと同時期に活躍し、相次いでレーシングカーを操縦中にトラブルでクラッシュ、世を去った。レブソンが資産家のファミリーとして生まれたのに対して、ダナヒューは特許代理人の家庭に生まれ、大学で工学を学んだ。卒業後、マイナーなレースを愉しんでいるうちにウオルト・ハンスゲンに見出され、彼が事故死のあとにロジャー・ペンスキーのチームに招かれる。ダナヒューは以後、ドライバーとしてだけでなく、エンジニアとしてマシンの改良面でもペンスキーとともに歩んだ。そしてチームのスポンサーであったSUNOCOのブルーに黄色のピンストライプをあしらったボディが彼のユニフォームの如くなった。このペンスキー、スノコ、ダナヒューが制覇したレースは、カンナム・レースからトランザム・レース、インディ500(1972年に優勝)と広範囲におよんでいる。73年末にいったん引退したが、75年のペンスキーF1チームのドライバーとして復帰、オーストリアGPのプラクティスで事故死した。
マーク・ダナヒュー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 05:10 UTC 版)
マーク・ダナヒュー | |
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基本情報 | |
フルネーム | マーク・ダナヒュー |
国籍 | ![]() |
出身地 | 同・ニュージャージー州ハッドン |
生年月日 | 1937年5月18日 |
没年月日 | 1975年8月19日(38歳没) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1971,1974-1975 |
所属チーム | '71 マクラーレン '74-'75 ペンスキー '75 マーチ |
出走回数 | 16 (14スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 8 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
最終戦 | 1975年オーストリアGP |
マーク・ダナヒュー(Mark Donohue, 1937年3月18日 - 1975年8月19日)は、アメリカ合衆国出身のカーレーサー。1972年のインディ500のウィナー、及び1973年のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ(Can-Am)チャンピオン。
人物
1975年8月17日、F1のオーストリアグランプリの予選中にクラッシュを起こし、マーシャル1人が破片を受けて死亡、別のマーシャル1人が負傷した[1]。ダナヒューは自力歩行や会話が可能で、事故の状況について左前輪がパンクを起こしたとチームに語っていた[1]。目立った外傷もなく当初は軽い脳震盪と見られていたが、次第に頭痛が酷くなった上に痙攣を起こし意識を失った[1]。病院で緊急手術を受けたものの、頭部強打に伴う血栓症とその合併症のため事故から2日後の8月19日に死去した[1]。38歳没。
戦績
F1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | WDC | ポイント |
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1971年 | マクラーレン/ペンスキー | M19A | RSA | ESP | MON | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN 3 |
USA DNS |
16位 | 4 | ||||
1974年 | ペンスキー | PC1 | ARG | BRA | RSA | ESP | BEL | MON | SWE | NED | FRA | GBR | GER | AUT | ITA | CAN 12 |
USA Ret |
NC (36位) |
0 |
1975年 | ARG 7 |
BRA Ret |
RSA 8 |
ESP Ret |
MON Ret |
BEL 11 |
SWE 5 |
NED 8 |
FRA Ret |
15位 | 4 | ||||||||
マーチ/ペンスキー | 751 | GBR 5 |
GER Ret |
AUT DNS |
ITA | USA |
インディ500
年 | シャシー | エンジン | スタート | フィニッシュ | エントラント |
---|---|---|---|---|---|
1969 | ローラ | オッフィー | 4位 | 7位 | ペンスキー |
1970 | ローラ | フォード | 5位 | 2位 | ペンスキー |
1971 | マクラーレン | オッフィー | 2位 | 25位 | ペンスキー |
1972 | マクラーレン | オッフィー | 3位 | 優勝 | ペンスキー |
1973 | イーグル | オッフィー | 3位 | 15位 | ペンスキー |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1966年 | ![]() |
![]() |
フォード・GT40 Mk.II | P +5.0 |
12 | DNF | DNF |
1967年 | ![]() ![]() |
![]() |
フォード・GT40 Mk.IV | P +5.0 |
359 | 4位 | 3位 |
1971年 | ![]() ![]() |
![]() |
フェラーリ・512M | S 5.0 |
58 | DNF | DNF |
脚注
- ^ a b c d “Donohue racing-death suit begins”. The Day. Associated Press ((New London, Connecticut)): p. 22. (1984年2月14日)
関連項目
先代 アル・アンサー |
インディ500勝者 1972年 マクラーレン・M16オッフィー |
次代 ゴードン・ジョンコック |
先代 ジョージ・フォルマー |
Can-Amチャンピオン 1973年 ポルシェ・917-30 |
次代 ジャッキー・オリバー |
固有名詞の分類
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