マヤのカレンダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 06:43 UTC 版)
詳細は「マヤ暦」を参照 マヤの暦としてもっとも基本的な暦はツォルキンとハアブの2つである。前者は一周期を260日(13の数字と20の日が毎日変化する)の周期で、宗教的、儀礼的な役割を果たしていた。後者は1年(1トゥン)を360日(20日の18ヶ月)とし、その年の最後に5日のワイェブ月(ウアエブ、ウァイェブ、ウェヤブ[要出典])を追加することで365日とするものである。ツォルキンとハアブの組み合わせが1旬するのには約52年(365×52 = 260×73)かかり、これをカレンダー・ラウンドという。 なお、この2種類の暦はマヤに固有のものではなく、メソアメリカ全体で用いられた。スペインによる植民地化の後も、20世紀ごろになるまで簡易化した形で残っていた。 ツォルキンとハアブのほかに、紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表された、長期暦と呼ばれるカレンダーも使われていた。これもマヤに固有のものではないが、石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっている。この暦は次のように構成されている。 日長期暦の周期長期暦の単位年バクトゥン1日 1 (キン)Kin 20日 20(キン)Kin 1 (ウィナル)Uinal 360日 18 (ウィナル)Uinal 1(トゥン)Tun ~1 7200日 20(トゥン)Tun 1(カトゥン)Ka'tun ~19.7 144000日 20(カトゥン)Ka'tun 1(バクトゥン)Bak'tun ~394.3 1 2880000 20(バクトゥン)Bak'tun 1 Pictun ~7,885 20 57600000 20 Pictun 1 Kalabtun ~157,808 400 1156000000 20 Kalabtun 1 K'inchiltun ~3,156,164 8,000 23040000000 20 K'inchiltun 1 Alautun ~63,123,288 160,000 ハアブ暦の閏については、そのずれを調整しなかったが、新月が全く同じ月日に現れるメトン周期(6939.6日)を把握していたことが、ドレスデン・コデックスやコパンの石碑に19.5.0.すなわち360×19トゥン+20×5ウィナル=6940キン(日)の間隔を記載することによって実際には季節のずれを認識していた可能性やパレンケの太陽の神殿、十字架の神殿、葉の十字架の神殿の彫刻に長期暦の紀元の記載とハアブ暦と実際の1年の値である365.2422日との差が最大になる1.18.5.0.0.(長期暦の紀元から約755年経過した時点)の記載があり、これもマヤ人が1年を365日とした場合の季節のずれを認識していた証拠とも考えられる。 かつては、現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日(400年間に97日の閏日)よりも真値に近い、365.2420日がその答えとされていた。これは、化学工学技術者のジョン・E・ティープルが1930年代に唱えた決定値理論と呼ばれる説で、アメリカのマヤ学の権威とされたエリック・トンプソンが認めたため、現在でも流布している説であるがその誤りが判明している。カラクムル遺跡にある15回目のカトゥン(9.15.0.0.0.,731年)を祝う石碑が7本あるが、その1年前に修正がなされており、太陽年を意識して201日分を加えている。これを太陽年を最初から想定していたとすると1年を365.2421日(3845年間に931日の閏日)としていたことになる。また、キリグアの785年を刻んだ石彫で、212日を追加する修正が見られる。グレゴリオ暦では、215日であり、太陽年で正確に計算すると214日の誤差となる。これを太陽年を想定した1年の日数とすると365.2417日(3898年間に942日の閏日)になる。単純に考えれば肉眼のみの観測で非常に精度が高い値で修正を行っていること自体は驚くべきであるが、実際にはグレゴリオ暦のように暦の1年を意識して計算しているものではないため、精度の高い暦を使っていたということはできない。
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