マヤの長期暦の資料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 01:25 UTC 版)
マヤで長期暦を記した最古の資料とされるものにハウバーグの石碑(紋章文字が刻まれているがどの遺跡のものか比定できない)があり、〔8.8.0.7.0.〕3アハウ13シュル (紀元199年)とされるが、欠損が多い。これを除くともっとも古い日付はティカル石碑29号の8.12.14.8.15(292年)になる。 マヤ中心部の都市国家は9世紀に次々に崩壊し、10世紀にはいるとほとんど長期暦は記されなくなった。トニナのモニュメント101号 10.4.0.0.0(909年1月15日)が確実なものではもっとも遅い日付を表している。イツィムテ石碑6号は10.4.1.0.0(910年)の日付が記されているともいう。
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