マヤ40形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:22 UTC 版)
「国鉄マロネ40形客車」の記事における「マヤ40形」の解説
1967年に大宮工場で、マロネ40 4より改造された“脱線試験車”である。 1963年の鶴見事故等で貨車の競合脱線現象が問題となり、1966年に新線が開通して廃止された根室本線狩勝峠旧線を実験線とし、本形式を使用した脱線実験が開始された。 本形式を先頭車とした無人の実験列車は、新得側から機関車の牽引で新内側まで進み、下り勾配を利用して突放される。後は惰性で走行しながら後続の貨車を人為的に脱線させ、脱線しない本形式でデータを収集する。 外見はマロネ時代とほとんど変わらず、妻面にアンテナが立てられた(後に車体中央部の屋根にアンテナを搭載するための開口部が作られた)程度である。客室設備・冷房はすべて取り払われ、無線によってリモートコントロール可能なブレーキ装置、連結器開放装置、車輪観察用のカメラ、データ測定・送信装置が搭載されていた。車輪はフランジが通常より深く、踏面勾配も緩い特殊形状で、実験線のレールに設定された様々な歪みに対しても脱線しにくい構造になっている。連結器も他の車両につられて脱線しないように、下半分が削られた特殊な形をしている。また、無人列車の先頭車となるため、警笛の代わりにサイレンを鳴らしながら走行した。 狩勝実験線での試験終了後は、ほとんど使用されないまま、国鉄民営化直前の1987年2月に廃車され、形式消滅した。 マロネ40 4 → マヤ40 1
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