マヤ24形→カヤ24形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 13:38 UTC 版)
「国鉄24系客車」の記事における「マヤ24形→カヤ24形」の解説
1973年に登場した車両。日本車輌製造・富士重工業・新潟鐵工所で10両 (1 - 10) が製造され、当初はマヤ24形として落成した。機関室にはインタークーラーターボ付きディーゼル機関DMF31Z-G形 (430 PS / 1200 rpm) と発電機DM95形 (300 kVA) を組み合わせた発電装置を2基搭載し、三相交流60 Hz / 440 Vの電力を全車に供給できるようになっている。台車はコイルばね式のTR54C形を使用している。なお、本系列では発電装置が全自動制御となって電源車の無人化が可能になったため、20系の電源車に設置されていた技術員室並びに技術員用の便所は本系列では廃止された。 落成時は全車が向日町運転所に配置され、関西 - 九州間の寝台特急に投入された。しかし、新聞輸送のために1974年に高砂工場で業務用室に積載荷重0.5 tの荷物積載スペースを設置したのを機に自重が変わったため、全車がカヤ24形へ形式変更された。その後に後述のカニ24形が投入されると、1975年に24系寝台車と一緒に2両が品川客車区に転属、品川客車区に25形が投入されると一緒に青森運転所へ転属した。残りも1980年に25形B寝台車と一緒に青森に転属(一時期2両が秋田に所属)・「日本海」・「ゆうづる」・「あけぼの」・「出羽」・「鳥海」で使用された。その後、3両が宮原客車区へ転属し、「日本海」・「つるぎ」・「銀河」にも使用された。青森・秋田への転属の際には、滞留基地である尾久客車区(現・尾久車両センター)⇔上野駅間の推進回送運転用に整備(車掌室内にブレーキ管引き込み、および手動ワイパー取り付け)が行われた。 末期はカニ24形のような機関換装更新などは行われず、青森所属車は「はくつる」「あけぼの」「日本海」、宮原所属車は「銀河」「日本海」にで使用された後、2003年(平成15年)に全車廃車となり形式消滅した。
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