マクラーレンM23とは? わかりやすく解説

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マクラーレン・M23

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/28 14:29 UTC 版)

マクラーレン M23
カテゴリー F1
コンストラクター マクラーレン
デザイナー ゴードン・コパック
ジョン・バーナード
先代 マクラーレン・M19C
後継 マクラーレン・M26
主要諸元
エンジン フォードDFV
主要成績
チーム マクラーレン
Scribante Lucky Strike Racing
Lucky Strike Racing
Chesterfield Racing
Iberia Airlines
Centro Asegurador F1
Melchester Racing
BSファブリケーションズ
ドライバー デニス・ハルム
ピーター・レブソン
エマーソン・フィッティパルディ
ジェームス・ハント
ヨッヘン・マス
ネルソン・ピケ
出走時期 1973 - 1978年
コンストラクターズタイトル 1(1974年)
ドライバーズタイトル 2(1974,1976年)
初戦 1973年南アフリカGP
初勝利 1973年スウェーデンGP
最終戦 1978年イタリアGP
優勝
16
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マクラーレンM23 (McLaren M23) は、マクラーレンF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ゴードン・コパックジョン・バーナードが設計した。1973年の第3戦から、1978年第14戦まで実戦投入された。インディ500用マシンのM16が開発のベースとなっている。

M23はシャーシナンバー1-12までの12台製作された。そのうちのシャーシナンバー8は、1974年イギリスGPから計15戦(1戦の非世界選手権含む)に使用された後に改修され、8-2として1975年スイスGPから再び使用された。

M23

1971年から使用されてきたM19Cの後継として1973年にデビュー。前年までのM19は、コークボトルタイプのボディが特徴だった。M23はロータスの影響を強く受け、サイドラジエーター、ウェッジタイプのノーズ、角張ったボディへと変わった。基本的な設計は以後も変わることなく1978年まで使用される。

サスペンションは、フロントはベラミー式リンクのプログレッシブサスペンション、リヤは不等ピッチコイルによるプログレッシブサスペンションと、特異なものを採用していたが、これらはM19から引き継いだ実績のあるものだった。ホイールベースは2,565mmで、2,387.6mmのブラバム・BT37より177mmも長く、コーナリングでの俊敏性より安定性を重視した設計だった。

搭載するフォード・コスワース・DFVエンジンジョン・ニコルソンが設立したニコルソン・マクラーレン・エンジンズがチューニングを行った。

シーズン

1973年

ヤードレイカラーの1973年型M23

デビュー戦の南アフリカGPデニス・ハルムPPを獲得。ハルムは1勝、ピーター・レブソンが2勝をあげた。

1974年

1972年のチャンピオンを獲得したエマーソン・フィッティパルディロータスから移籍、いきなりドライバーズ・チャンピオンを獲得。そしてマクラーレンもチーム初となるコンストラクターズ・チャンピオンを獲得。この年から、マールボロのスポンサーシップが開始。以後1996年まで続く『マールボロ・マクラーレン』の誕生である。このシーズンはマールボロ2台とヤードレイ1台の3台体制での参戦だった。

1975年

M23はフロントサスをロッキングアームに変更し、また、ホイールベースを80mm延長し2,647mmとした。また、リヤ周りも改修を受け、今まではエンジン部分が外部に露出していたが、リヤタイヤ前方にオイルクーラーを設置。サイドポンツーンなどのボディワークをさらに後方に延長した。加えて、ダウンフォースの増加に努めるため、フロントウイングが大型化され、リヤウイングも厚みを増し、フラップの迎角も大きくなった。

フェラーリニキ・ラウダが新型マシン312Tと共にシーズンを席巻。フィッティパルディは2勝でドライバーズ・ランキング2位となった。彼はこのシーズン終了をもって実兄であるウィルソン・フィッティパルディが興した新チームのコパスカーに移籍した。

1976年

1976年オランダGPにてM23に乗るハント

この年から施行された新レギュレーション(安全性向上のためマシンの全高を制限)に伴って大型インダクションポッドを撤去。ドライバーの頭部左右から吸気する方式を取った。また、シャーシは14kgもの軽量化がなされた。さらにホイールベースが伸ばされ、2,717.8mmとブラバム・BT45と比して254mmも長くなった。

新たにフィッティパルディに代わってヘスケスからジェームス・ハントがマクラーレンに移籍加入。ハントはフェラーリのニキ・ラウダとチャンピオン争いを展開。第9戦イギリスGP終了時点ではラウダのリードを許していたが、第10戦ドイツGPでのラウダのクラッシュ、以後2戦欠場の間に猛追。最終戦日本GPでラウダが天候悪化によるリタイヤを決断する中を走り続け、ハントにとって唯一となるドライバーズ・チャンピオンを獲得した。第12戦オランダGPではヨッヘン・マスが新車M26で出走したが、決勝での結果が9位と良くなかったこともあり、次戦から再びM23となった。

1977年

新車M26が開幕戦から実戦投入される予定だったが、熟成不足と判断されハントは第1-4,6戦で、マスは第9戦までM23を使用、その後はようやくM26が実戦投入され移行した。第10戦イギリスGPではジル・ヴィルヌーヴがM23を駆ってF1デビュー。決勝は水温計がどんどん上昇していったため(実際には水温計は故障していた)途中ピット・インを余儀なくされたが、それまでは新車M26を駆るハントやマスに引けをとらないタイムで周回していた。また、M23はジルのF1キャリアの中で唯一となる「フェラーリ以外でドライブしたマシン」でもある。

1978年

カスタマーシャーシとして、新人ネルソン・ピケBSファブリケーション英語版チームでドライブするなど、登場から延べ6年という長期にわたって活躍したマシンとなった。

スペック

シャーシ

ボディワークを取り外したM23
  • シャーシ名 M23
  • ホイールベース 2,565-2,717.8mm
  • フロントトレッド 1,631-1,663mm
  • リヤトレッド 1,587-1,676mm
  • ブレーキ ロッキード
  • ホイール フロント:13×10-11インチ、リア:13×16-18インチ
  • タイヤ グッドイヤー
  • サスペンション フロント・ベラミー式リンク→ロッキングアーム/リヤ・ダブルウィッシュボーン
  • ギアボックス ヒューランドFG400(5速)→DG400(6速)

エンジン

ニコルソンチューンのDFVエンジン
  • マシン重量 575-601.6kg(含エンジン)

F1での全成績

(key) (太字はポール・ポジション、斜体はファステストラップ。)

チーム タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1973 ヤードレー・チーム・マクラーレン G ARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
FRA
GBR
NED
GER
AUT
ITA
CAN
USA
581 3位
ハルム 5 6 7 6 1 8 3 Ret 12 8 15 13 4
レブソン 4 Ret 5 7 1 4 9 Ret 3 1 5
シェクター Ret Ret Ret Ret
イクス 3
1974 マールボロ・チーム・マクラーレン G ARG
BRA
RSA
ESP
BEL
MON
SWE
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
73 (75) 1位
フィッティパルディ 10 1 7 3 1 5 4 3 Ret 2 Ret Ret 2 1 4
ハルム 1 12 9 6 6 Ret Ret Ret 6 7 Ret 2 6 6 Ret
ヤードレー・チーム・マクラーレン ヘイルウッド 4 5 3 9 7 Ret Ret 4 7 Ret 15
ホッブス 7 9
マス 16 7
1975 マールボロ・チーム・マクラーレン G ARG
BRA
RSA
ESP
MON
BEL
SWE
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
USA
54 (56) 2位
フィッティパルディ 1 2 NC NS 2 7 8 Ret 4 1 Ret 9 2 2
マス 14 3 6 1 6 Ret Ret Ret 3 7 Ret 4 Ret 3
1976 マールボロ・チーム・マクラーレン G BRA
RSA
USW
ESP
BEL
MON
SWE
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
CAN
USA
JPN
74 (75) 2位
ハント Ret 2 Ret 1 Ret Ret 5 1 DSQ 1 4 1 Ret 1 1 3
マス 6 3 5 Ret 6 5 11 15 Ret 3 7 Ret 5 4 Ret
1977 マールボロ・チーム・マクラーレン G ARG
BRA
RSA
USW
ESP
MON
BEL
SWE
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
USA
CAN
JPN
602 3位
ハント Ret 2 4 Ret Ret
マス Ret Ret 5 Ret 4 4 Ret 2 9
ヴィルヌーヴ 11
ジャコメリ Ret
  • 11973年の6ポイントはマクラーレン・M19Cで獲得。
  • 21977年の37ポイントはマクラーレン・M26で獲得。

記録

  • 通算16勝
  • コンストラクターズチャンピオン1回獲得(1974年)
  • ドライバーズチャンピオン2回獲得(1974年エマーソン・フィッティパルディ、1976年ジェームス・ハント)

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