ボルチモア_(防護巡洋艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ボルチモア_(防護巡洋艦)の意味・解説 

ボルチモア (防護巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/14 15:48 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1887年5月5日
進水 1888年10月6日
就役 1890年1月7日
退役 1922年9月15日
その後 1942年2月16日に売却
除籍
性能諸元
排水量 4,413トン
全長 336 ft (102 m)
全幅 48 ft 6 in (14.8 m)
吃水 20 ft 6 in (6.3 m)
機関 2軸推進、10,000ihp
最大速 ノット
乗員 士官、兵員383名
兵装 8インチ砲4門
6インチ砲6門

ボルチモア (USS Baltimore, C-3/CM-1) は、アメリカ海軍防護巡洋艦。艦名はメリーランド州ボルチモアに因む。その名を持つ艦としては4隻目。

艦歴

ボルチモアは先のチャールストン (USS Charleston, C-2) 同様、イギリスアームストロング・ミッチェル社で設計が行われた。1887年5月5日にペンシルベニア州フィラデルフィアウィリアム・クランプ・アンド・サンズ社で起工し、1888年10月6日にセオドア・D・ウィルソン夫人(建造主任セオドア・D・ウィルソンの妻)によって命名、進水、1890年1月7日に艦長W・S・スライ大佐の指揮下就役した。

ボルチモアは1890年5月24日に北大西洋戦隊の旗艦となり、8月15日から23日までかけてジョン・エリクソンの遺体をニューヨークからスウェーデンストックホルムまで運搬した。ヨーロッパ海域および地中海を巡航した後、1891年4月7日にチリバルパライソに到着、南太平洋ステーションに加わる。ボルチモアはチリ革命に際してアメリカ人を保護し、8月28日にはバルパライソに部隊を上陸させた。1892年1月5日にメア・アイランド海軍工廠に到着、ボルチモアは10月7日まで西海岸を巡航し、続いて大西洋に戻った。1893年3月から4月にかけてハンプトン・ローズで巡航および海軍の観閲式に参加した。ボルチモアはスエズ運河を経由し、アジアステーションの旗艦として1893年12月22日から1895年12月3日までアメリカ合衆国の権益を保護するために巡航した。1896年1月21日にメア・アイランドに帰還し、1896年2月17日に予備役となる。

1897年10月12日に再就役したボルチモアは10月20日にハワイ諸島へ出航し、1897年11月7日から1898年3月25日まで同地に留まる。その後1898年4月22日に香港ジョージ・デューイ代将率いる戦隊に加わった。戦隊は4月27日に大鵬湾を出航しフィリピンに向かい、5月1日の朝にマニラ湾入りし、同湾に停泊していたスペイン艦隊に対して攻撃を行った。ボルチモアはオリンピア (USS Olympia, C-6) に続いて2番目にマニラ湾入りした(マニラ湾海戦)。その後ボルチモアはアジアステーションに留まり、1900年5月23日まで船団警護などの任務に従事した。ボルチモアはスエズ運河を経由してニューヨークに1900年9月8日に到着した。

1900年9月27日から1903年5月6日までボルチモアはニューヨーク海軍工廠で予備役状態で保管された。1903年8月5日から12月23日まで北大西洋艦隊カリブ海戦隊で活動し、夏にはメイン州沖合での艦隊演習に参加、8月15日から17日にかけてニューヨークのオイスター・ベイで行われた大統領による観閲式に参加した。1904年5月28日から8月26日までサントドミンゴ水域で活動し、ヨーロッパ戦隊に配属、地中海を巡航した。9月26日にイタリアジェノヴァを出航、アジアステーションに向かい、続く2年をフィリピン、オーストラリア海域で活動した。

ボルチモアは1907年4月24日にニューヨークへ帰還し、1907年5月15日にニューヨーク海軍工廠で予備役となる。1911年1月20日に限定就役状態でとなり、1911年1月30日から1912年9月20日までチャールストン海軍工廠新兵収容艦としての任務に就く。1913年から1914年にかけてチャールストン海軍工廠で機雷敷設艦への改修が行われ、1915年3月8日に再就役した。1915年から1918年の間に、ボルチモアはチェサピーク湾および大西洋岸沿いに機雷敷設実験および訓練に従事した。

アメリカ合衆国第一次世界大戦へ参戦した当時、ボルチモアは兵員の訓練任務に従事していた。1918年3月初め、ボルチモアはアイルランド北方のノース海峡で機雷敷設の支援を担当した。3月8日にクライド川に到着し、4月13日から5月2日までの間に、ノース海峡におよそ900個の機雷を敷設した。6月2日、ボルチモアはスコットランドインヴァネスで第1機雷敷設戦隊に合流し、4ヶ月にわたってオークニー諸島アイスランド間の北方機雷原敷設任務に参加した。

1918年9月28日にボルチモアはオークニー諸島のスカパ・フローから出航し帰国の途に就く。その後年末までバージン諸島の近くで機雷敷設試験を行った。

1919年9月、ボルチモアは太平洋艦隊に加わり、CM-1 (機雷敷設艦)に艦種変更される。1921年まで西海岸で留まり、その後真珠湾に移動、1922年9月15日に予備役となる。真珠湾で新兵収容艦としての任務に就き、1941年12月8日の真珠湾攻撃時には任務の途中であった。ボルチモアは1942年2月16日に売却され、スクラップとして廃棄された。

関連項目

外部リンク


「ボルチモア (防護巡洋艦)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ボルチモア_(防護巡洋艦)」の関連用語

ボルチモア_(防護巡洋艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ボルチモア_(防護巡洋艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのボルチモア (防護巡洋艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS