ホテルオークラ京都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:36 UTC 版)
ホテルオークラ京都の起源は神戸の実業家、前田又吉が1888年(明治21年)に二条橋西詰め上ル(現:鴨川二条大橋畔)で創業した旅館「京都常盤」である。前田は旧勧業場跡地(現所在地である河原町御池、幕末期は長州藩邸の所在した場所)の払い下げを受け、1890年に洋風木造建築の「常盤ホテル」を渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎ら財界の大物によって設立された日本土木会社(現・大成建設)の施工で竣工、開業させた。1891年に当時ロシア皇太子であったのちのニコライ二世(日露戦争時のロシア最後の皇帝)も宿泊している。 敷地内にある長州屋敷跡の碑 敷地内にある桂小五郎像 常盤ホテルは1894年に井上喜太郎(也阿弥ホテルの経営者井上萬吉の弟)によって買収され、平安遷都1100年記念式典の行われる1895年に「京都ホテル」として営業を再開。1925年(大正14年)12月16日、大丸呉服店(現:大丸松坂屋百貨店)社長・下村正太郎が京都ホテルで結婚披露宴を挙行、500名余りが参列した(ホテルでの結婚披露宴のはしり)。1928年(昭和3年)に2月は鉄筋コンクリート構造・7階建ての新館が清水組の設計・施工で完成した。1928年(昭和3年)11月には京都ホテル支店「京都ステーションホテル」の営業開始、1929年(昭和4年)「京都ステーションホテル」を京都ホテルから分離した。 1991年12月、総合設計制度の適用を受け、高さ60mの高層ビル「京都ホテルおいけ本館」の建設に着手、平安遷都1200年となる1994年に竣工した。このホテル改築をめぐっては京都の景観を破壊するとの反対意見も根強く、激しい論争が繰り広げられた。高さ60mは、京都市中心部のビルでは京都駅ビルと並んで最も高い。現在では総合設計制度の活用が廃止された為、中心市街地にこの様な高層ビルを建てることは困難となっている。 2001年に京都ホテルは経営再建策の一環としてホテルオークラとの業務提携を決定、2002年にオークラホテルズ&リゾーツに加盟して本館の名称を「京都ホテルオークラ」に改めた。2022年、現在の名前に改称。 玄関ポーチ(2017年7月17日撮影) ロビー(2017年7月17日撮影)
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