ベレステーチコの戦いとは? わかりやすく解説

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ベレステーチコの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 04:46 UTC 版)

フメリニツキーの乱」の記事における「ベレステーチコの戦い」の解説

詳細は「ベレステーチコの戦い」を参照 国王フメリニツキーの間でズボーリウ条約結ばれたにもかかわらず1650年前半ポーランド・リトアニア共和国国会で条約認可めぐって穏健派武断派対立していた。同年の夏、タタール捕虜から1648年コールスニの戦い負けたミコワイ・ポトツキ司令官戻って影響力回復し武断派加担してコサックの血で土が赤くなるまで」の新たな戦争必要性強調するようになった結局1650年末には武断派勝利を収めて条約認可せず、ポーランド・リトアニア共和国コサックウクライナ次の軍事衝突のために軍勢動員し始めた前者1651年4月までに4万人国軍と、8万人大・小貴族部隊集め後者同年5月までに4万人からなるプロコサックの諸連隊と、6万人町人農民からなる志願兵呼集した。それに、コサック援軍としてイスリャム3世ゲライが自ら引率した3万人タタール騎兵隊加わった両軍人数20万人超え今後合戦ヨーロッパ戦争史上最大合戦一つになる見込まれた。 1651年 国王騎兵によるコサック銃士への攻撃 ヤレーマ・ヴィシュネヴェーツィクィイ イヴァン・ボフーン 1651年6月中旬国王軍とコサック・タタール同盟軍西ウクライナヴォルィーニ地方で、ベレステーチコ町の辺り低地対陣した陣地は7km から8kmまで広がっていて両側から湿地森林囲まれていた。6月28日合戦火蓋切られ両軍小隊による小競り合いが行われた。翌日タタール騎兵周辺高地占領した一方コサック歩兵は横側から国王軍勢押し付け、約7千人敵兵討ち取った。コサック・タタール同盟軍優勢に見えたが、6月30日戦況一変した国王歩兵ヤレーマ・ヴィシュネヴェーツィクィイ騎兵とともにコサック歩兵コサック本陣まで撤退させ、国王砲兵高地位置するタタール本陣発砲開始したそんな中タタール指導者イスリャム3世ゲライは足傷を負い、カルハ(ウクライナ語版)のクルム・ゲライやトハイ・ベイ数人タタール重臣砲弾に斃れた。砲撃によって多数死者出したタタールは、戦場から急速に後退してコサック陣地左側を裸にした。フメリニツキータタール引き止めようとイスリャム3世ゲライ所へ向かったが、タタール戦闘続行断ってフメリニツキーにした。 残されコサック軍は、タタール行動によって同盟者総司令官失って窮地に陥り、本陣湿地諸川合流地帯移動させ、それを要塞化して篭城することを決めた。それに対して国王軍コサック本陣取り巻いて十日間連続でそこへ発砲し続けた7月10日の夜、フメリニツキー不在コサックイヴァン・ボフーン臨時棟梁任命し湿地通って本陣から密かに脱出し始めた。2万人コサック騎兵隊砲兵隊一部脱出成功したものの、町人農民中心とした志願兵コサック捨てられる恐れてパニックになり、湿地内で脱出用の道路壊され多数志願兵沈没した。それを察知した国王軍は、敵本陣に総攻撃開始したが、300人の選れたコサック殿軍食い止められ数時間をかけてそれを全滅させたにもかかわらずコサック軍致命的な打撃与えることは出来なかった。こうして、合戦ポーランド・リトアニア共和国大勝利終わり国王軍は3万枚銀銭軍事金、20コサック軍旗と軍印、フメリニツキー棟梁のしるしである戦棍入手した

※この「ベレステーチコの戦い」の解説は、「フメリニツキーの乱」の解説の一部です。
「ベレステーチコの戦い」を含む「フメリニツキーの乱」の記事については、「フメリニツキーの乱」の概要を参照ください。

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