ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:29 UTC 版)
「ヴィンチェンツォ・ニバリ」の記事における「ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝」の解説
2010年、ジロ・デ・イタリアで総合3位を獲得後、ツール・ド・フランスには参加せず、ブエルタ・ア・エスパーニャに照準を定めることになった。第8ステージ終了時点で、総合首位のイゴル・アントンにわずか2秒差の総合3位に浮上。アンドラのバルノリュがゴールの第11ステージではアントンに完敗し45秒に差を広げられるが、総合2位へと浮上した。そして転機が第14ステージにやってくる。 同ステージ残り約6.5km地点でアントンが転倒。右肘骨折のため途中棄権となってしまった。ニバリは区間優勝のホアキン・ロドリゲスに20秒差の区間2位で入り、総合ではロドリゲスに4秒差ながらも首位に立った。その後、第16ステージでロドリゲスに総合首位の座を明け渡したが、第17ステージの個人タイムトライアルにおけるロドリゲスの大ブレーキにより、総合2位に浮上したエセキエル・モスケラに39秒差をつけ再び総合首位へ。最後のクライマックスとなった山岳コースの第20ステージでは、モスケラの再三のアタックを封じ、区間優勝をモスケラに譲ったものの、1秒差の区間2位でゴールし決着をつけた。結果、区間優勝は一度も経験できなかったが、ブエルタ初出場で総合優勝(コンビネーション賞も獲得)を成し遂げた。 2012年、ティレーノ〜アドリアティコ では第5ステージで勝利。第6ステージ終了時点で、総合首位のクリス・ホーナーに対し5秒差の同2位だったが、最終第7ステージの個人タイムトライアルでホーナーに20秒の差をつけ逆転し、劇的な総合優勝を果たした。また、ポイント賞も獲得。3年振りの出場となったツール・ド・フランスではチームスカイのブラッドリー・ウィギンスとクリス・フルームのコンビに苦しむも、総合3位に入った。
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ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝
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「アルベルト・コンタドール」の記事における「ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝」の解説
8月6日開幕のエネコ・ツアーより活動復帰。総合4位に入った。 続いて、ブエルタ・ア・エスパーニャに出場。序盤から中盤にかけて、ホアキン・ロドリゲス、クリス・フルーム、アレハンドロ・バルベルデと総合首位争いする展開となり、第11ステージの個人タイムトライアル(ITT)終了時点では、首位のロドリゲスにわずか1秒差につけた。ところが、ほとんどが平坦ながらも、ゴール地点だけ『激坂』というトリッキーなレイアウトとなった第12ステージでロドリゲスの後塵を拝し、さらに超級カテゴリゴールが3ステージ続いた第14〜16ステージにおいてもじりじりとロドリゲスに離される展開となった。第16ステージ終了時点において、ロドリゲスとの差は28秒。もっとも、その後の区間はITTがなく、さらに山岳ステージも1つしかないため、ロドリゲスの総合優勝が現実味を帯びてきたかと思われた第17ステージ、ゴールまで約51kmもある2級山岳カテゴリのラホス峠付近よりアタックをかけたところ、後続の反応が意外と悪かったため、その動きを察知したコンタドールが、残り約23km地点で先頭グループから抜け出しを図るべく再度アタックをかけたが、それに対応できたのはパオロ・ティラロンゴだけだった。その後、バルベルデが猛追し、最後はコンタドールに6秒差まで詰め寄ったが、コンタドールが逃げ切って区間優勝。そして、総合首位だったロドリゲスが2分38秒遅れの区間10位でゴールするのがやっとだったため、ついにコンタドールが同ステージ終了後にマイヨ・ロホを奪取した。その後も総合首位を守ったコンタドールは、4年ぶり2度目のブエルタ総合優勝を果たした。
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ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝
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「アルベルト・コンタドール」の記事における「ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝」の解説
ブエルタ・ア・エスパーニャでは、同じくツールをリタイアしたクリス・フルームや同年ツールで総合4位となったアレハンドロ・バルベルデらとマイヨ・ロホ争いを展開した。クイーンステージである第16ステージで優勝し、復活を印象づける。アンカレス峠への頂上ゴールとなった第20ステージでフルームとの一騎打ちに。ペースを変えて揺さぶるフルームの攻撃に動じず、1発でアタックを決めてステージ優勝。個人タイムトライアルの第21ステージでも安定した走りを見せ、自身3度目の総合優勝を達成した。
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