フレンチ・ヘルメット論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:19 UTC 版)
「ポール・トレーシー」の記事における「フレンチ・ヘルメット論争」の解説
そのレース経歴において、トレーシーは度々トラブルに捲き込まれた。数人のドライバーがトレーシーは攻撃的であり、しばしば危険な振る舞いを犯したと主張し、過去には何度かのアクシデントと論争を引き起こしている。しかしながら近年に起こったトラブルとしては、フレンチ・ヘルメット論争と呼ばれるフランス人ドライバーとのトラブルが挙げられる。 フレンチ・ヘルメット論争は2006年シーズンにおけるサンノゼ戦とデンバー戦での2件の事故の後に巻き起こった。サンノゼ戦でトレーシーは右カーブにおいてミスを犯しコースアウトし、コースに戻ろうとした際にアレックス・タグリアーニと接触、タグリアーニ車の前部を破損した。事故の後フランス系カナダ人であるタグリアーニは激怒しピットにおいてトレーシーに詰め寄り、損害の償いを要求した。トレーシーはタグリアーニに「触るな」と言い、オフィシャルが止めに入るまで2人はつかみ合いとなった。この間、トレーシーはタグリアーニがヘルメットをかぶっていたことを注意した。2人は罰金を科され(金額は公表されていない)、トレーシーは3戦の執行猶予と7ポイントを失うこととなった。 次戦のデンバーでトレーシーはフランス人ドライバーのセバスチャン・ボーデとラストラップにおいて2位を争っていた。トレーシーは燃料とブレーキに問題を抱え、最終コーナーでボーデの後に接近した。トレーシーは十分な減速を行わずコントロール不能となり、ボーデ車に接触した。ボーデは逆にトレーシー車を押し返した。レース後トレーシーはボーデを挑発したが、ボーデはやり過ごした。トレーシーは3ポイントを失い、2万5,000ドルの罰金を科された。運営側は「トレーシーのデンバーにおけるアクシデントはサンノゼの執行猶予に違反している」と発表した。ボーデはトレーシーのチームメイトで、チャンピオンシップを争っていたA.J.アルメンディンガーを有利にするためトレーシーが故意に接触したとして、トレーシーの出場停止を要求した。 レース後のインタビューでトレーシーは、事故後に挑発に応じなかったボーデを非難した。「彼がヘルメットを脱がなかったのは残念だね。しかし、フランス人の奴らはいつもヘルメットをかぶったままだ。」トレーシーはそれが冗談だと言ったものの、1週間後に付け加えた。「あれは冗談だと言ったけど、事実だよ。もし事実じゃないことと言ったんなら謝るけれど、どっちもヘルメットをかぶったまま言い寄ってきたんだ。後悔はしてないけれど、冗談だと言ったんだ。」ボーデ、タグリアーニに加えてケベック出身のドライバーであるアンドリュー・レンジャーは週末の8月26日、次戦のモントリオールでトレーシーに野次を飛ばすよう群衆に話した。 またこの一件は、トレーシーがデンバー事件は過去の数レースの報復であったとボーデを非難したことで、トレーシーとボーデの間の論争を再開させた。ヘルメットに関してボーデは「僕はホッケー選手じゃないと思うし、彼もお互いにヘルメットを脱いでいるのは見なかった。もし彼が誰かと戦いたかったなら、彼は間違ったスポーツをしていると思う。」と語ってトレーシーを非難した。ボーデはまた「ポール・トレーシーは自分自身でレースを馬鹿げたものにしている。」とも語った。 タグリアーニは「彼(トレーシー)は拘束衣を着るべきだ。なぜならそれが彼を押さえることができる唯一のものだからだ。セバスチャン(ボーデ)は『一緒に運転することはできない』と言ったので、多分それが唯一のトラブルに巻き込まれない方法なんだろう。」と付け加えた。 モントリオールのウォーム・アップと予選セッション時、ジル・ヴィルヌーヴ・サーキットの群衆はトレーシーに対して盛大に野次を飛ばした。しかしながら、レース前の伝統的なドライバーによるプレゼンテーション時、トレーシーは青いマスクを付けケベック州の旗をケープのようにまとい、プロレスのジェスチャーを行った。RDSは「ポール・トレーシー:狂ったケベック人 (le Crazy Québécois) 」の見出しで、TSNは「キャプテン・ケベック」とのキャプションでその様子を報じた。トレーシーは雨で開始が遅れたレースをボーデに次ぐ2位で終え、ファンはケベック州の旗を身に付けて表彰台に上がったトレーシーに声援を送った。
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