フランス以外での生産型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 06:07 UTC 版)
「ルノー FT-17 軽戦車」の記事における「フランス以外での生産型」の解説
M1917軽戦車 ルノーFTをアメリカで生産するにあたりフランス式のメートル法をアメリカのフィート・ポンド法に設計し直し、同時に各部の改良も施されている。第一次世界大戦休戦までには64輌が完成したのみで、フランスの戦線に送られたのは10輌にとどまる。1931年まで製造が続けられ計950輌が生産された。 第二次世界大戦では訓練用戦車となった。 KS戦車 M型戦車、もしくは「ルスキー・レノ(ロシア製ルノー)」の名でも知られる。ロシア社会主義連邦ソビエト共和国で生産された派生型。1918年から1922年のロシア内戦では協商国により白軍に対する支援が間接直接的に行われたが、この際にフランス軍から白軍に提供されたルノーFTが赤軍に多数捕獲された。その一方で、赤軍ではFTのコピー生産が計画され、ニジニ・ノヴゴロドのクラスナエ・ソルモヴォ工場がそれを担当した。 1919年10月、「自由の戦士・同志レーニン号」と名付けられた第一号車が完成しテストされ、その後15輌が生産されたと言われる。KSの名は工場名に由来する。試作車も含め、戦場で回収されたFTの再生車であった可能性も示唆されている。ただし、オリジナルのFTは砲搭載か機銃搭載か選択されたのに対し、生産型のKS戦車は砲塔前面に砲、砲塔右側面に機銃と、両方を装備しているという違いがあった。その後ソ連では、ライセンス生産したイタリアのフィアット製エンジンとアメリカ製の変速機を搭載した独自の発展型を開発、これはMS戦車(後にT-18と改称)として、約1000輌が生産された。 FT-17 CWS ポーランドでは多数のFT-17が使われ、派生型のTFSやFTケグレス、発展型のNCも輸入された。1925年、FTの走行性能を向上させるため、ピッチの細かい新型履帯と、それに合わせた起動輪・誘導輪が一部の車両に導入された。 1926年には、スペアパーツと、防弾鋼板ではない普通鋼板を使い、27輌のFTがCWS社で生産された。これら装甲防御力を持たないポーランド国産FTは訓練用に使われた。 FIAT3000 イタリアが戦間期、FTを元に開発・生産した独自の発展型。1920年に試作車が完成、その1930年代初頭にかけて改良を繰り返しながら生産が行われた。
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