フセンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > フセンの意味・解説 

ふ‐せん【不宣】

読み方:ふせん

十分に意を述べつくさない意で、手紙終わり添える語。不悉(ふしつ)。不尽(ふじん)。


ふ‐せん【不戦】

読み方:ふせん

戦わないこと。戦争試合などをしないこと。「—宣言


ふ‐せん【付箋/附箋】


ふ‐せん【富×贍】

読み方:ふせん

[名・形動十分に足りて豊かであること。また、そのさま。

誇って居た想像の—な事などは」〈菊池寛無名作家日記


ふ‐せん【布銭】

読み方:ふせん

古代中国使われた鋤(すき)の形を模した青銅貨幣。刀銭先行して使用された。春秋戦国時代に韓・魏・趙で鋳造された。布貨。布幣。布。


ふ‐せん【普選】

読み方:ふせん

普通選挙」の略。


ふ‐せん【浮選】

読み方:ふせん

浮遊選鉱法」の略。


ふ‐せん【膚浅】

読み方:ふせん

[名・形動思慮などの浅いこと。また、そのさま。あさはか

「—なる詩人水彩画師なり、空想の子なり」〈鴎外訳・即興詩人


ふ‐せん【×艀船】

読み方:ふせん

はしけぶね。はしけ。


夫銭

読み方:ブセン(busen), フセン(fusen)

夫役にかえて金銭代納する税。

別名 夫金(ぶきん)


富贍

読み方:フセン(fusen)

富んで豊かなこと。

別名 豊贍


豊贍

読み方:フセン(fusen)

富んで豊かなこと。

別名 富贍


傅僉Fu Qian

フセン

(?~263
左中郎将関中都督

義陽郡の人。傅肜の子傅著傅募の父《楊戯伝》。

傅肜死後左中郎将拝命、のちに関中都督となる《楊戯伝》。景耀六年(二六三)、魏の鍾会漢城楽城包囲するとともに胡烈別働隊として関口攻撃させた。このとき傅僉は蔣舒とともに関城守っていたが、蔣舒が「いま賊軍が来たからには出撃せずに籠るのは良計ではない」と言うので、傅僉は「ご命令通り、城を守ってこそ手柄になるのだ。いま命令反して出撃して、もし軍勢失い国益損ねてしまって死んで無益だ」と反対した《姜維伝》。

蔣舒聞き入れず手勢率いて出発し陰平まで行って胡烈投降した胡烈関城襲撃した。傅僉は蔣舒敵軍と戦うつもりだと思い込んでいたので、不意を突かれ格闘のすえ討死した。魏の人々は彼を義士だと思った姜維伝》。

胡三省は「蔣舒迎撃させても必ず勝てわけではないのに、傅僉はどうして備え怠ったのか。関城失陥は傅僉にも責任がある」と批判している。

のち、晋の武帝詔勅下した。「蜀の将軍傅僉はかつて関城にあり、死を顧みることなく身をもって官軍対抗した。傅僉の父傅肜もまた劉備のために戦死した天下の善は一つであり、彼我によって違いがあろうか」。論者父子二代にわたる忠義称えたであった楊戯伝》

参照胡烈 / 司馬炎武帝) / 蔣舒 / 鍾会 / 傅著 / 傅募 / 傅肜 / 劉備 / 陰平道 / 関中 / 魏 / 義陽郡 / 蜀 / 晋 / 成固県(楽城) / 沔陽県漢城) / 陽安関(関口関城) / 左中郎将 / 都督



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フセン」の関連用語

フセンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フセンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
むじん書院むじん書院
Copyright (C) 2025 mujin. All Rights Reserved.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS