ハロルドの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「ヘイスティングズの戦い」の記事における「ハロルドの死」の解説
ハロルドは戦いの終盤に死んだようであるが、様々な資料における記録は食い違いを示している。ポワチエのウィリアム(英語版)は彼の死に言及するのみで、顛末に関する詳細は示さないままである。眼から突き出した矢を掴む姿が、剣で撃たれて倒れる戦士の横に描かれている「タペストリー」は、助けとなるものではない。両者の姿の上に「ここでハロルド王は殺された」(ラテン語: HIC HAROLD REX INTERFECTVS EST)との記述がある。いずれの姿がハロルドを意図されているのか、あるいは双方ともにその意図であるのかは明らかでない。ハロルドが眼に矢を受けて死んだという、伝承となった報告の最も初期に書き残された言及は、1080年代にイタリアの修道士モンテカッシーノのアマトゥス(イタリア語版)が著した『ノルマン人の歴史』にさかのぼる。マームズベリのウィリアムは、眼に受けて脳髄に達した矢がもとでハロルドは死に、そしてある騎士が同時にハロルドに傷を負わせたと述べる。『ルー物語』は矢を眼に受けたとの記録を繰り返している。『ヘイスティングズの戦いの詩(英語版)』はギヨーム公がハロルドを殺したとするが、そのような手柄は他所においても記録されたであろうから、ありそうにない話である。ジュミエージュのウィリアム(英語版)は、ハロルドは朝に最初の戦いの間に死んだものとしており、これはなおさらにありそうにない。『バトル修道院年代記』は、戦闘の切迫した状況の中で起きたことであり、ハロルドを殺した者については誰も知らないとする。現代のハロルドの伝記作者イアン・ウォーカーは、おそらくハロルドは眼に受けた矢によって死んだとするものの、眼に致命傷を負った間にとあるノルマン人騎士に打ち倒された可能性はあるとも述べる。いま一人のハロルドの伝記作者ピーター・レックスは、様々な記録を論じた後に、ハロルドの死の様相を確言することは不可能であると結論づける。 ハロルドが討ち取られたとされている地点はイングランド軍側から見て右翼の丘の中腹にあるが、丘のこちら側は勾配が他の部分に較べて緩やかなことから、ノルマン軍がイングランド軍の右翼に攻撃を集中させた為、ハロルドも右翼に移動して前線で戦闘に参加して落命したとの見方もある。また、ハロルドが矢で目を射抜かれたという「タペストリー」の描写については、「視力を失う」ことが別の何かの象徴なのではないかとの見方もある。 ハロルドの死でイングランド勢は指導者なき存在となり、彼らは崩壊し始めた。多くは逃走したが、王家の兵士たちはハロルドの遺体の周囲に集結し、最後まで戦った。ノルマン軍は逃走する軍勢への追撃を開始し、「マルフォッセ」(Malfosse)として知られる地での後衛作戦を除いては、戦いは終結した。マルフォッセ、あるいは「悪しき溝」で起きた事態や起きた場所の正確なところは不明である。小規模な堡塁、あるいは壕の組み合わせが存在する場で発生し、一部のイングランド兵がそこに結集してブローニュのユースタス伯(英語版)に重傷を負わせ、次いでノルマン軍に打ち負かされた。
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