ハロルド・アーレンとのタッグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 23:59 UTC 版)
「ジョニー・マーサー」の記事における「ハロルド・アーレンとのタッグ」の解説
この頃、黒人音楽への造詣が深い理想的な相方の作曲家ハロルド・アーレンと出会い、作詞において洗練されたウィットと南部特有の言い回しをまじえたスタイルが確立した。二人の作品では最初に『Blues in the Night』(1941) が成功。アーサー・シュワルツは「恐らく最も偉大なブルース・ソングであろう」と評した。 続いて『One for My Baby (and One More for the Road)』(1941), 『That Old Black Magic』 (1942),『降っても晴れても~Come Rain or Come Shine』 (1946) などを共作し、これらの主立ったナンバーの多くが後年までスタンダード化した。 またホーギー・カーマイケルとも引き続き仕事をしており、『スカイラーク』 (1941)、オスカー受賞の『In the Cool, Cool, Cool of the Evening』 (1951) を共作。巨匠ジェローム・カーンとは『You Were Never Lovelier』を共作した。 1942年には、ハリウッドでキャピトル・レコードをプロデューサーのバディー・ダシルバ(英語版)とレコード店のオーナー Glen Wallichs とともに設立。ついでにカウボーイ・レコード(英語版)も共同設立した。 1940年代中期、マーサーはハリウッドで最高の作詞家だった。アーヴィング・バーリン同様、文化の流行・変わりゆく言語に敏感だった。 頼まれ仕事で『Laura』『Midnight Sun』『Satin Doll』など、すでにヒットしていたインスト曲にも詞をつけた。外国語曲にも英語詞作詞を手掛けたが、最も有名なのは『枯葉~Autumn Leaves』(フランス語:"Les Feuilles Mortes")であろう。
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