ネズ・パース
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ネズ・パース族、またはネ・ペルセ族は、アメリカインディアンの一部族である。 彼ら自身はニミプー(nimi'ipuu、nimipu)、またはカムイヌ(Kamu'inu)、チュトペリ(Tsútpeli)とも自称する。
- 1 ネズ・パースとは
- 2 ネズ・パースの概要
- 3 外部リンク
ネズ・パース族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 01:18 UTC 版)
「アパルーサ (馬)」の記事における「ネズ・パース族」の解説
ネズ・パース族の人々は現在のワシントン州東部からアイダホ州西部にわたる地域に暮らし、農業のかたわら馬の繁殖をしていた。最初に馬を手に入れたのは1730年前後でショショーニ族を介したと考えられる。土地柄、馬を飼育するにはぴったりの環境であり他の部族との争いに巻き込まれる心配も少なかったことから、厳しい標準を決めて馬の選択と改良に取り組んでいく。1750年までに繁殖馬の系統が確立した。形質の劣る牡馬の去勢と、品の落ちる血統を手放すことで遺伝子のプールから不適格なものを取り除いたのは、ネズ・パース族など一握りの部族だけである。その結果、19世紀はじめに馬の繁殖家としてネズ・パースの人々はすぐれた繁殖の担い手と認められるようになった。 ネズ・パースの馬は初めのころ質の高さが評判だった。メリウェザー・ルイスはルイス・クラーク探検隊の一員で、1806年2月15日の日記に「彼らの馬は実に質が高いとみた。気高く優美な姿で活動的、耐久力も相当なものだ。つまりEnglish coarsers [誤字ママ] に匹敵するうえどの国に持ち込んでもひときわ目立ち才能を発揮するに違いない」と記した。また斑文に注目しており、「 (略) ここには〈雑色〉がいて、黒鹿毛ほか濃い色の地毛に白く形のいびつな大きなまだらのある馬をちらほら見かける」としている。ルイスの〈雑色〉とは、一方で近世のアパルーサに見える豹文を意味する可能性があるが、他方では「大部分は単色」と書き残している。アパルーサ・ホース・クラブの試算ではその当時、ネズ・パース族が所有した馬で斑文があったのは全体のおよそ10パーセントしかいないという。 もともとネズ・パースの馬の大部分は単色であり、ルイス・クラーク探検隊の訪問後、おそらく19世紀に入ってから斑文をアピールするようになった。白人の入植者がネズ・パースの土地に入り込む時代が来ると、馬の取引が盛んになってネズ・パース族は豊かになる。1861年の馬の宣伝文句は「優美な軍馬であり、王族の乗馬にふさわしい」と宣伝している。標準的な馬が15ドルで売買されたところ、先住民ではない人々がアパルーサをほしがって600ドル積んでも、取引を断ることもあった。
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