ネズ・パース戦争のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 01:18 UTC 版)
「アパルーサ (馬)」の記事における「ネズ・パース戦争のその後」の解説
アメリカ第7騎兵隊がジョセフ酋長とネズ・パースの人々に抵抗をやめるように迫ったとき、部族の人々は急で1000頭を超える馬をまとめると売れるものは売り払い、残った馬の多くを撃ち殺した。しかし人々が身をひそめていた渓谷を離れるとき、相当な数を残していく。移動の途中で逃げ出す馬、置き去りにした馬もいた。ネズ・パースの人々は最後にはアイダホ州北中部の居留地に落ち着き、わずかな馬を飼うかわりに陸軍の命令で農耕馬を増やすため、重種馬との交配を強いられたのだ。 ネズ・パースの人々がアパルーサの繁殖で昔の立場を取り戻すことはなかった。20世紀後半にようやく馬とともに育った部族の文化を取り戻すこと、部族が得意とした選抜育種を復活することを目標に、新しい種の馬を作るプログラムが始まり、ネズ・パース・ホースが出てくる。 他の優秀な血統の馬の繁殖が続き、1877年から60年ほどの間、アパルーサは確立した種としては忘れ去られる。絶滅はせず極僅かに残り、入植者が野生化したものを捕らえたり売買で手に入れたりして牧場作業で使った。他の用途はサーカスなど娯楽産業で、バッファロー・ビル・ワイルド・ウェスト・ショーが有名である。ネズ・パース族が昔所有していた土地の中央をパルース川が流れていた事実から、入植者ははじめアパルースを「パルース」と呼んでいた。名前はパルースからアパルースに、アパルースから現在の「アパルーサ」という呼称になった。昔の名前にはほかに「アパルーチ」、「アパルーセー」、「アパルージー」などもあり、1948年の小説には18世紀に僻地の住民がニューオーリンズへ売りに行く品物を運ぶために使った「オペルーサ・ホース」として登場、「頑丈で耐久力のある先住民とスペイン人が育てた馬」と説明してある。1950年代に "Appaloosa" が正しい綴りとして定着した。
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