ネズ・パース族の逃避行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/20 15:35 UTC 版)
「モンタナ州の歴史」の記事における「ネズ・パース族の逃避行」の解説
1877年、ネズ・パース族のジョセフ酋長に率いられた800名が、2,000名のアメリカ陸軍の追跡を受けながら、カナダ国境での自由を求めて動いた。3ヶ月以上の間、ネズ・パース族は追跡者をあしらい戦いながら、オレゴン、ワシントン、アイダホおよびモンタナを1,700マイル (2,700 km)移動した。 追跡騎兵隊を率いたオリバー・O・ハワード将軍は、ネズ・パース族が戦い、前衛や後衛を使い、散兵線を敷き、また戦場で防御を施すその技術に感銘を受けた。最終的に食料や毛布も無い状態で寒風の中を5日間壊滅的な戦いを行った後、1877年10月5日、モンタナ準州のベアポー山地で、ジョセフ酋長がネルソン・アップルトン・マイルズ将軍に正式に降伏した。そこは、現在のブレイン郡チヌークに近い場所で、カナダ国境の南40マイル (60 km)足らずだった。この戦闘は降伏の時のジョセフ酋長のものとされる言葉で、庶民の歴史に記憶されている。 「ハワード将軍にその考え方を知っていると言ってくれ。彼が以前言っていたことは私の記憶に留めている。私は戦いに疲れた。我々の酋長達は殺された。るっきんぐぐらすは死んだ。トゥーハルハルソトは死んだ。年取った者は皆死んだ。是非を言うのは若者達だ。若者達を率いた者も死んだ。外は寒く毛布も無かった。小さな子供達は凍えて死んだ。私の部族の者達の何人かは丘に向かって逃げたが、毛布もなく、食料も無かった。誰も彼等が何処にいるかを知らないし、恐らくは凍え死んだろう。私は私の子供達の面倒を見る時間が欲しい。またその何人を見付けられるだろうか見てみたい。恐らくは死者の中に彼等を見付けるだろう。聞いてくれ酋長たちよ。私は疲れた。私の心は病み、悲しんでいる。今、日が昇るこの地から、もはや戦うことはないだろう。」
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