ニューつくばね号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 07:51 UTC 版)
.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 筑波山に到着したニューつくばね号。右は一般路線の下館駅行(1999年8月撮影。どちらも現在運行していない)。 ニューつくばね号(JRバス関東。2001年6月撮影) 1991年4月1日に運行を開始した、東京都千代田区と茨城県つくば市の筑波山(筑波山口)を結んでいた路線である。1日8往復が運行されていた(運行開始から運行終了まで変わらず)。 愛称の由来は、筑波山の異称「筑波嶺」(つくばね)から。1985年(昭和60年)3月まで、旧・日本国有鉄道(国鉄)が東北本線・水戸線経由で上野と勝田を結んだ急行「つくばね」という列車を運行しており、その愛称を再び用いていた。 東京から筑波山麓への観光輸送に於ける直通需要を満たすとともに、国道408号・学園西大通り沿線の研究所(農業生物資源研究所、農業環境技術研究所、果樹研究所、国土地理院、土木研究所、高エネルギー加速器研究機構)など、「つくば号」ではカバーできないつくば市の谷田部・大穂・筑波地区の交通を補完する役割をもった。 2005年8月24日に首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開業したため、この路線も経路を変更した。特に競合したつくば市西部で利用者数が減少したため、2006年9月30日を最後に運行を終了した。 なお、全停留所周辺で他のバス路線が通じているため、この路線の休止後に「交通空白地帯」となった沿線の地区はない。 歴史 1991年(平成3年)4月1日 - JRバス関東・関東鉄道の共同運行で運行開始。 2002年(平成14年)10月15日 - バス停新設(東光台一丁目、筑波支所前)。 2005年(平成17年)8月24日 - 松代四丁目 - 国土地理院間の経路を、自動車研究所前・東光台研究団地・東光台一丁目経由から吾妻二丁目西・春日一丁目経由に変更。あわせて運賃を値下げ。 2006年(平成18年)9月30日 - 運行終了。
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