ニセコ町長へとは? わかりやすく解説

ニセコ町長へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:40 UTC 版)

逢坂誠二」の記事における「ニセコ町長へ」の解説

係長をしていた1988年町長目指すきっかけとなった黒澤明監督の『生きる』を見る。また同年、「まちで街路整備事業やりたい」という町民現れる町役場とは無関係自主的取り組みであったが、毎晩のように町民話し合う生活がそれから6年間続く。情報公開住民参加原理重要性実感し町長選挙に出ることを考える。1994年7月北海道大学大学院生であった田中秀征衆議院議員の話を聞く機会があり、田中の「僕は選挙弱いんだよね、勝った数より負けた数が多い」という言葉強く背中押され8月ニセコ町役場辞職推薦団体ゼロ支援した町議一人だけであったが、同年10月16日行われたニセコ町選挙現職渡辺冨雄を僅差破り初当選した。 1998年情報公開条例制定同年10月無投票再選2000年12月全国初めてとなる自治基本条例まちづくり基本条例)を制定町長選挙直前控えた2002年9月17日札幌市市民グループから翌年北海道知事選挙への出馬要請を受ける。この申し出断り10月無投票で3選。 3選後の2002年12月20日連合北海道から、12月27日には市民グループ8団体から、2003年1月22日には民主党から出馬請われ動向注目されるところとなった同年2月2日知事選不出馬正式に表明2月12日一連の騒動責任をとるとして、議長退職申出書を提出しニセコ町長職への辞意表明する逢坂辞職の経緯理解してもらうための説明会を開くが、会場から「撤回求め署名集めたい」との声が上がる2月17日から21日まで署名活動が行われ、15歳上の町民の77%にあたる3000分の署名届けられた。2月24日町議会全員協議会開き撤回求め署名集まったことなどを考慮し退職同意案件臨時議会提出しないことを決めた2月26日逢坂議長会談し辞職撤回する伝えた2004年内閣府が行った調査で、ニセコ町参考にしたい自治体の1位となった

※この「ニセコ町長へ」の解説は、「逢坂誠二」の解説の一部です。
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