トクタミシュのジョチウルス再統一とは? わかりやすく解説

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トクタミシュのジョチ・ウルス再統一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 13:53 UTC 版)

バトゥ・ウルス」の記事における「トクタミシュのジョチ・ウルス再統一」の解説

ベルディ・ベク没後混迷を極めるジョチ・ウルス再統一端緒開いたのは左翼トカ・テムル家に属するオロス・ハンであった。オロス・ハンはバトゥ・ウルス同様に分裂状態にあった左翼オルダ・ウルス再統一し、西方バトゥ・ウルスへの遠征始めたイブン・ハルドゥーン記述によると、ヒジュラ暦776年1374年/1375年)にハジ・タルハン地方領主チェルケス・ベグがママイからサライ奪い、更にシバン家のイル・ベグがチェルケス・ベグからサライ領有権奪った。ところが、イル・ベグは間もなく亡くなり息子のカガン・ベグに代替わりしたため、これを好機見たオロス・ハンは自ら軍を率いてカガン・ベグを破りサライ占領した。これに対してシバン家のアラブシャーは一時的にオロス・ハンからサライ取り戻したようだが、ロシア語史料の『ニコン年代記』によると1377年にオロス・ハンはアラブシャーを破り、アラブシャーはママイ・オルダに亡命したという。 このようにオロス・ハンはオルダ・ウルスバトゥ・ウルス東半の統一成功したが、バトゥ・ウルスの西半(ママイ・オルダ)の平定果たせないままに没落することになった左翼オルダ・ウルスでは同じくトカ・テムル家出身のトクタミシュ当時中央アジア急速に勢力拡大しつつあったティムール支援を受け、数度にわたる激戦の末にトクタミシュオロス破ったオロス死後遠縁テムル・ベクが跡を継いだテムル・ベクオロス時代から活躍する一級指揮官であったが酒に溺れ遅くまで目覚めないという自堕落な面があり、シャーミー勝利の書』はテムル・ベクが戦う前から人心失い左翼人々トクタミシュ勝利を望んでいたと伝えているが、数度戦い経てトクタミシュ遂にテムル・ベク破り1378年/1379年にスグナク即位しオルダ・ウルス平定することに成功した1380年にはクリミア方面支配するママイクリコヴォの戦いにてモスクワ大公国敗戦喫し、これを好機見たトクタミシュ西方出兵してカルカ河畔の戦いママイ破り同年にはママイ勢力バトゥ・ウルス=青帳)を併合してベルディ・ベク以来20年ぶりにジョチ・ウルス再統一果たした。この左翼ウルスによる右翼ウルス平定について、ティムール朝編纂された『ザファル・ナーマ』は「トクタミシュ・ハンは……サライの国とママク(ママイ)の国を征服した」と記している。トクタミシュクリコヴォの戦い勝利したモスクワ大公国モスクワ包囲戦にて屈服させ、ルーシ諸国隷属体制復活させた。トクタミシュジョチ・ウルス右翼/左翼統一達成したことを、『チンギズ・ナーマ』は「彼は右手と左手慣行廃止した」と表現している。 しかし、ジョチ・ウルス再統一して自信深めたトクタミシュは自らを支援してきたティムールに頼る立場に不満を抱き1386年にはティムール勢力圏であるアゼルバイジャン地方進出したトクタミシュティムール裏切った理由として、『勝利の書』はコンギラト部のアリー・ベク、シリン部のオルク・テムルバアリン部のアク・ブガらといった武将たちがティムール友好関係を築くことを進言してきたが、右翼平定後にトクタミシュ仕えようになったマングト部の者たちがティムール裏切るよう唆したことが主因記している。コンギラト部族代々左翼オルダ・ウルス有力だった部族であり、トクタミシュ左翼/右翼統一成し遂げ政権権力構造大きく変化した従来左翼勢力相対的に影響力落とし右翼マングト部が台頭した)ことがトクタミシュ-ティムール戦争大きな一因となったとみられる。更に3年後1387年トクタミシュホラズム地方スーフィー朝などを巻き込んでティムール朝本拠地マー・ワラー・アンナフルへの侵攻開始した当時ムザッファル朝遠征中だったティムール急いで和睦結んで中央アジアに「大返し」し、1391年にはコンドゥルチャ川の戦い英語版)でトクタミシュ軍を破った。しかし、中央アジア侵攻には失敗したもののトクタミシュ勢力未だ健在で、1394年には再びカフカース山脈越えてアゼルバイジャン地方進出しようとした。これを迎え撃ったティムール軍はテレク河畔戦い英語版)で大勝収め勝勢乗ってキプチャク草原進出したティムール軍によってサライ始めジョチ・ウルスの諸都市徹底的に破壊された。ティムールによる破壊略奪トクタミシュによる再統一瓦解ジョチ・ウルス弱体化決定的な影響与えた評されている。こうしてトクタミシュによるジョチ・ウルス再統一運動ティムールによって頓挫してしまい、以後ジョチ・ウルス全体支配する政権現れなくなってしまう。

※この「トクタミシュのジョチ・ウルス再統一」の解説は、「バトゥ・ウルス」の解説の一部です。
「トクタミシュのジョチ・ウルス再統一」を含む「バトゥ・ウルス」の記事については、「バトゥ・ウルス」の概要を参照ください。

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