テレビ事業参入、そして映画部門閉鎖へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 17:07 UTC 版)
「リパブリック・ピクチャーズ」の記事における「テレビ事業参入、そして映画部門閉鎖へ」の解説
リパブリックは、自社のフィルムライブラリをテレビ局に貸したハリウッドの映画スタジオとして知られている。1951年、リパブリックはテレビ部門ハリウッド・テレビジョン・サービスを設立し、自社の西部劇やアクションスリラー作品の上映権を売り出した。西部劇を含むこれらの映画作品は、1時間のテレビスペシャル枠に合わせるべく編集がなされた。この会社は昔の連続活劇のような手法でテレビドラマの制作も行っており、このようなドラマの代表作に『フー・マンチューの冒険』(1956)がある。また、1952年、リパブリックのスタジオがMCAの連続テレビドラマの制作部門レビュー・プロダクションズの本拠地になった。リパブリックが連続作品の制作に向いていることが証明されたものの、予算があったわけでもそうしようとした気持ちが強かったわけでもなかった。1950年代半ばまで、過去作品の上映・放送と、MCAへのスタジオの貸し出しがあったおかげで、リパブリックはテレビ業界でやっていくことができたのだった。このときリパブリックは連続映画として興行的に失敗した『宇宙戦士コディ』を全12話のテレビドラマとしてNBCに売った。タレント事務所であるMCAはスタジオで威光を放つようになり、MCAやMGMを追い出されたルイス・B・メイヤーがリパブリックのスタジオを完全にものにするのではないかと噂されていた。1953年から1954年にかけて、リパブリックはABCのテレビドラマw:The Pride of the Family(主演:パウル・ハルトマン、フェイ・レイ、ナタリー・ウッド)を製作し、 1955年にはジム・デイヴィスが主演とナレーションを務めた w:Stories of the Centuryを製作した。シンジゲート放送された"Stories of the Century"は、エミー賞を受賞した西部劇ドラマとなった。 B級映画の人気の低迷と、市場の縮小が起き始め、リパブリックは予算の削減を始めた。1950年代前半には年に40本ほど作られていた長編映画は、1957年には18本程度つくられただけだった。1958年の年次総会の際、イエーツは、株主たちに長編映画の製作を行わないことを発表した。翌年配給部門は閉鎖され、映画のライブラリは、ナショナル・テレフィルム・アソシエーツ(National Telefilm Associates, NTA)に売却された。スタジオはCBSが数年間番組制作に使用した後に買収、CBSスタジオセンター(CBS Studio Center)として知られるようになり、2006年このスタジオはCBSネットワークが所有するロサンゼルスの放送局KCBS-TVとKCAL-TVの本拠地になった。さらに2008年、CBSネットワークは西海岸の本部をハリウッド・テレビジョン・シティからラドフォードに移転し、ネットワークの重役が現在ここで執務している。 スタジオの親会社リパブリック・コーポレーションは、Consolidated Film Laboratoriesや家庭用品製造部門といったイエーツの他の事業とともに生き残った。1966年、バットマンの人気にあわせて、"Century 66"という過去の連続活劇26本をそれぞれ100分の長さのテレビ映画に編集したパッケージを制作したのを除き、スタジオ売却とともに、ハリウッドでの役割を終えた。
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