テレビゲームへの参入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 20:32 UTC 版)
「ミッドウェイゲームズ」の記事における「テレビゲームへの参入」の解説
1972年に創業したアタリが、同年『ポン』を爆発的にヒットさせ、翌73年には『ポン』のコピーゲームが多数作られた。同社はアタリが発売前に『ポン』を売り込みに来たことが縁で、唯一ライセンス生産の契約に成功し、同じゲームを『ウィナー』のタイトルで発売、もちろんこれがミッドウェイのテレビゲーム第一号である。 そしてタイトーからはレースゲーム『スピードレース』のライセンスを受け、『Wheels』の名で1975年3月に発売した。 マイクロプロセッサについても意欲的で、8080を利用した基板を開発し、世界初のマイクロプロセッサを利用したアーケードビデオゲームをリリースしている(ゲームについては後述)。まだ初期の技術だった為、三枚構成のうち一枚は直角に立てられたという、コンパクトさには欠ける構造だった(ただしアメリカのアーケードには、日本で言う所のテーブル筐体はほとんど存在しない)。この基板では既に文字表示、いわゆるミッドウェイフォントとも言うべき機能も標準装備されており、これを見る事で同社のゲームだと判る、メーカー毎の作風が現れたハシリの一つとなった。 この時トム・マクヒューと共に技術協力をしたデビッド・ナッチングは、世界初のアーケード式テレビゲーム『コンピュータースペース』の発売に協力した、ナッチング・アソシエーツ社の社長ビル・ナッチングの兄弟である。 続いて、西部劇をテーマにしたタイトーの対戦シューティングゲーム『ウエスタンガン』のライセンスを受け、1975年11月に『Gunfight』(セガ〈後のセガ・インタラクティブ〉やアルゼの同名西部劇ゲームとは別物)、そして続編『ブートヒル』を発売した。『Gunfight』は、前述の8080基板の第一号であり、アーケードゲームではピンボールの en:The Spirit of '76 (pinball) に次いで世界で2番目、アーケードビデオゲームでは初のマイクロプロセッサ使用例である。なお、ライセンスを受けて開発されたものだが、キャラデザインがタイトーより細かくなるなど、厳密にはクローンと言えない程度の変更点が存在する。 ミッドウェイ自社製造では、潜水艦からの射撃をテーマにした『シーウルフ』から8080基板が採用され、三作目は野球テレビゲーム『トルネードベースボール』を改良した『ボールパーク』(タイトーへ別名でライセンス)、その後もあわせて約20本のゲームが8080基板で作られた。 また基板とは直接関係ないが、グラフィックがまだ貧弱でコンピュータによる背景が殆ど描けない時代、ハーフミラーを使ってマット画と合成する技術を8080基板と同時に採用、今見てもかなり美しい画面を作り出した。このハーフミラーもタイトーで好まれ、後世のゲームでは『ダライアス』などにも使われている。 8080基板は日本のゲーム会社の技術者にも渡り、これを解析し使用方法を身につける事で、ナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)は『ジービー』、タイトー(と西角友宏)は後述する『スペースインベーダー』を生み出す事になる。 こうして同社はアーケードテレビゲーム黎明期において、アメリカではアタリと並ぶ二大企業、日本でもタイトーを加えた御三家として、初期の陣頭を飾る会社となった(なおセガは『ポン』のコピーゲームによるテレビゲーム参入こそタイトーと同時期だったものの、まだエレメカ事業に引きずられていたため、この御三家には距離を開けられていた)。
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