テクストの音楽的処理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/18 14:25 UTC 版)
ヴォーン・ウィリアムズが『海の交響曲』のために執筆したプログラム・ノートでは、テクストがいかに音楽として扱われるべきであるかが論じられている。彼は次のように書いている。「本作の構想は物語的、劇的というよりも交響的なものです。このことにより、詩文中に存在する重要な語句や節を何度も繰り返すことが正しいのだと説明されるのではないでしょうか。こうして言葉が音楽同様に交響的に処理されるのです。」彼にこの交響曲への霊感を与えたのはウォルト・ホイットマンの詩であったが、伝統的な韻律のあるテクストよりも構造の流動性が重要性を増してきていた時に、ホイットマンが自由詩を用いたことが評価されるようになったのである。この流動性によってヴォーン・ウィリアムズが頭に描いていた、テクストの非物語的で交響的な処理の促進に弾みがついた。特に第3楽章ではテクストは説明性に乏しく、「音楽にこき使われ」もする。反復される行があれば、原文では隣通しでない行が音楽中では繋がって現れることもあり、一部は完全に省かれてしまっている。 テクストに対して非物語的なアプローチを行ったのはヴォーン・ウィリアムズだけではない。マーラーは交響曲第8番で同じような、ことによるとさらに急進的な手段を取った。第1部の「来たれ、創造主たる聖霊よ」(Veni, Creator Spiritus)で大量の行を提示したその方法は、音楽ライターで評論家のマイケル・スタインバーグをして「反復、結合、反転、転置、合体の信じがたい濃密な発達」と評せしめた。同交響曲の第2部ではゲーテのテクストを用いて同様に、2つの大幅なカット及びその他変更が加えられた。 これ以外にテクストの音楽としての使用を一層推し進めた作品もある。ヴォーン・ウィリアムズは映画『南極のスコット(英語版)』を土台にした『南極交響曲』において、寒々と吹き荒ぶ雰囲気を全体に作り上げるのを補助する役割で、歌詞のない女声合唱を使用している。グラスは『トルテカ・シンフォニー』としても知られる交響曲第7番の第2、第3楽章で合唱を使用しながらも、歌詞には現実の言語は用いられなかった。その代わりに歌詞は「総体としての管弦楽によるテクスチュアの、喚情的な文脈に付け加えられる形の固定されない音節から」成るのだと、作曲者は述べている。
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