テクストの変遷
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モンテーニュは1572年からエセーの執筆を始め、1580年の初版刊行後も生涯を通じて編集し続けた。1語だけ挿入することもあれば、複数の節をまるごと挿入することもあった。後世の多くの版ではこれを以下の記号で表している。 A: 1571-1580に書かれた節。1580年刊 B: 1580-1588に書かれた節。1588年刊 C: 1588-1592に書かれた節。1595年刊(死後の刊行) 版の間の差異や追加分を分析することで、モンテーニュの思考が時間と共にどう変遷していったかが分かる。現在の考えと矛盾している時でさえも、モンテーニュは以前の記述を取り除くことはなかったようである。
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テクストの変遷
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「一九二八年三月十五日」の記事における「テクストの変遷」の解説
『戦旗』掲載の初出の版は、蔵原惟人による削除と編集部が施した削除の合わせて13か所が除去されたほか、多くの伏字があった。発表翌年の1929年に戦旗社の「日本プロレタリア作家叢書」第2編『蟹工船』に収録された際は、初出の削除箇所と伏字がすべて復原されたが、発禁処分となる。1930年の「日本プロレタリア作家叢書第九編」収録版では再び削除がおこなわれるもこれも発禁。1935年のナウカ社版『小林多喜二全集』でも不完全な収録となる(事実上の禁書扱い)。戦後の1948年9月に日本評論社が刊行した『小林多喜二全集』第2巻で、初めて原稿(勝本清一郎所蔵)を元にした復原がおこなわれ、以後の定本となった。最新の全集である1982年の『小林多喜二全集』第2巻(新日本出版社)でも基本は日本評論社版全集が踏襲されている。
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