ダービーと啓蒙時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 15:29 UTC 版)
「ダービー博物館・美術館」の記事における「ダービーと啓蒙時代」の解説
ダービーは18世紀において大きな位置を占めていたが、それは王権神授説の統治に対して科学と哲学が立ち向かった啓蒙時代において果たした役割によってである。啓蒙時代には多くの潮流があり、哲学者デイヴィッド・ヒュームを中心とした多分に哲学的なスコットランド啓蒙(英語版)、フランス革命で最高潮に達した政治的変革、が挙げられる。そしてイングランド中部は、産業と科学の分野で多くの重要人物が交叉した地域であった。有名なルナー・ソサエティにはエラズマス・ダーウィン、マシュー・ボールトン、ジョゼフ・プリーストリー、ジョサイア・ウェッジウッド、そしてベンジャミン・フランクリンがアメリカから文通で参加していた。エラズマス・ダーウィンはチャールズ・ダーウィンの祖父にあたり、1783年にダービーへ転居した際、ダービー哲学会を開いたのだった。この会はダービー初の図書館設立に尽力した。 ジョセフ・ライトの絵画のうち、光と陰の使い分けで知られる何点かは、ルナー・ソサエティの会員たちの所有だった。ダービー博物館はライトのスケッチを300点以上、油絵を34点、文書類を何点か所有している。その一つは『賢者の石を探す錬金術師』(1771年)という絵で、それはドイツの錬金術師ヘニッヒ・ブラントによって1669年にリンが発見された様子を描いている。大量の尿を煮詰めているフラスコで、尿中に豊富に含まれる燐が空中で自然発火し、勢いよく光を発している。 『太陽系儀の講義』は太陽周囲の惑星運行を実演する初期の機械装置を示しており、この絵を前にして、ギャラリー中央に太陽系儀の実物が展示されている。スコットランドの科学者にして天文学者、講師だったジェイムズ・ファーガソン(英語版)は1762年7月にダービーで数度にわたる講義を受け持った。それは1760年に出版された彼の著書『力学、流体静力学、空気力学、工学、その他から選んだ主題に関する講義』に基づいたものだった。講義内容を視覚化するため、彼は様々な機械、模型、道具を使用した。ライトはファーガソンの講義に参加した可能性が高い。なぜなら親しい隣人だった時計職人かつ科学者のジョン・ホワイトハーストから講義のチケットを入手できたであろうからだ。ライトは太陽系儀とその操作についてより良く知るため、ファーガソンの実践的な知識を欲していたであろう。
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