ダービーでの敗北と死
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「ヘンリー・ロードン=ヘイスティングズ (第4代ヘイスティングズ侯爵)」の記事における「ダービーでの敗北と死」の解説
侯爵の母バーバラは大のギャンブル好きで有名であり、彼もその影響を受けて競馬に興味を示した。競馬に大金を使い、馬も育成するようになったが、侯爵家の豊富な財力のおかげで全く問題はなかった。1867年のダービーでは、妻の元婚約者ヘンリー・チャップリンの所有するハーミットが不調であると判断して、ハーミットの負けるほうに大金を賭けた。しかし侯爵の予想に反して、ハーミットはダービーで優勝してしまい、侯爵は12万ポンドもの負債を背負うこととなった。その後は自身の持ち馬レディ・エリザベスによる翌年のダービー優勝に賭けたが、当てが外れて大敗した。このときブックメーカーらの口車に乗り、持ち馬ジ・アールの出走を取り消して売却する代わりにレディ・エリザベスに賭けていた。しかし結果はレディ・エリザベスが惨敗した一方、売られたジ・アールは直後の別大会で三連勝したことから侯爵の絶望は深かった。その後「ダービーでハーミットに負けて、私の心は打ち砕かれた」との言葉を友人に残して、1868年に僅か26歳で死去した。 ヘイスティングズ侯爵夫妻に子供はなかった。そのため父方に由来するヘイスティングズ侯爵位やモイラ伯爵位は廃絶した。一方で、女系継承を認めるラウドン伯爵位以下3つのスコットランド貴族爵位はエディスに相続されたが、母方由来の6つのイングランド貴族爵位はヘンリーの4人の姉妹間で優劣がつかず停止となった。
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