ダービーは金では買えぬ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 00:48 UTC 版)
「上田清次郎」の記事における「ダービーは金では買えぬ」の解説
1965年、NHK杯を快勝して東京優駿の最有力馬となったダイコーターが、馬主の橋元幸吉から上田にトレードされ、厩舎も転厩するという事態が発生した。上田が橋元に支払った金額は東京優駿の優勝賞金800万円の3倍にあたる2400万円であった。橋元はダイコーターを売却した理由について、「私はダービー馬の馬主になった感激を知らない。あなたは去年その感激を味わった(所有馬シンザンが東京優駿を優勝)のだからもういいじゃないか」という説得に負けたからだと述べている(数々の重賞競走を制覇していた上田にとって、優勝確実と言われていたダイナナホウシユウが他馬の不利を受けて4着に敗れて以来、東京優駿の制覇が悲願となっていた)。橋元は管理調教師の柴田不二男に一切相談することなく、独断でトレードを決めた。競馬マスコミは上田に対し「ダービーを金で買うのか?」、橋元に対し「シンザンであれだけ稼ぎながらまだ馬で儲けようというのか」と批判を浴びせた。 当日のレースでは、ダイコーターは直線良く追い込んだものの、道悪に泣かされキーストンの2着に敗れた。その結果、「ダービーを金で買うことは出来ない」と言う典型的な例として語られる事になった。 その後も上田は東京優駿に挑み続けたが、1971年のスインホウシュウと1973年のホウシュウエイトによる4着が最高で、ついに東京優駿に勝つことが出来ないまま2001年に上田牧場は閉鎖された。現在でも、義理の娘である「ジョー」の冠名で有名な上田けい子や孫の上田江吏子が馬主として携わっているが、2021年現在も東京優駿の勝利は掴めていない。
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