コーンウォール・パスティに影響された他の地域のパスティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/09 19:01 UTC 版)
「パスティ」の記事における「コーンウォール・パスティに影響された他の地域のパスティ」の解説
コーンウォール鉱員の移民(俗語:Cousin Jack (ジャックの一族))が、19世紀中にその他の地域にパスティを広めた。コーンウォールのスズ鉱山が閉山されていくにつれ、鉱員はその専門技術と伝統技術を世界の他地域の新たな鉱山に伝えた。その結果、以下のような各地にパスティが見られる。 ミシガン州アッパー半島 - この地域でパスティは、6月上旬に行われるミシガン州カルメットのパスティ・フェストを含め重要な観光名物である。アッパー半島のパスティは、1864年にコーンウォールの鉱員に少数のフィン人移民が続いたという特に珍しい歴史を持つ。フィン人(および他の多くの民族集団)はカッパー・カントリー (Copper Country) の銅鉱山の食事にパスティを取り入れた。約30年後、続いて移住してきた多くのフィン人移民は、フィン人の鉱員たちがパスティを焼いていたことから、それがフィン人の発明品であると考えた。その結果、この地域のフィン人の文化に深く関連したものとなった。 メキシコ、イダルゴ州およびパチューカの2つの銀鉱山、レアル・デル・モンテ(ミネラル・デル・モンテ (Mineral del Monte) )には、移住したコーンウォール鉱員による顕著なコーンウォールの影響があり、パスティが典型的な郷土料理と考えられている。メキシコのパスティはティンガ(細切り牛肉/鶏肉の料理)やモーレといった、典型的なメキシコの具を詰めて供される。メキシコ・スペイン語では、パステ(paste)と呼ぶ。 2009年10月に、メキシコ、イダルゴ州、レアル・デル・モンテ(コーンウォール、レッドラスと姉妹都市)で、最初の国際的なパステの祝祭である、第1回国際パステ・フェスティバルが開催された。レアル・デル・モンテ自治体、パステ製造業者、Cornish Mexican Cultural Society(コーンウォール・メキシコ文化交流協会)メキシコ支部が主催し、3日間の行事でこの都市に約8,000人の観光客を集客し、大成功をおさめた。観光客の移動バスは会場から4時間離れたクエルナバカ、およびメキシコ・シティから移動した。フェスティバルはレアル・デル・モンテの市長、Ing. Omar Mariano Skewes(オマル・マリアノ・スクウェス)の「コーンウォールの人々は、我々に再び仕事を与え、不採算に陥っていた鉱業を再建した。我々がこの産業を失ったとき、パステと新たな収入源を我々に与えた」といった開会宣言で始まった。この絵のように美しい町での祝祭行事は、コーンウォール人の墓地への訪問およびイギリス協会のBridget Galsworthy(ブリジェット・ゴールズワージー)によるガイド付きツアーで、鉱員の記念塔に花を飾ることで始まった。大通りは、地方色豊かな各種様々な「パステ」が販売されるテント屋台が列をなし、鉱員の記念塔に隣接する場所に大きなステージが設置され、踊りと催し物がフェスティバル中披露された。コーンウォールのポルダーク・マイン出身のパム・メルヴィルが伝統的なパスティ作りの実演を行い、多数のパスティが作られ大人気であった。レアル・デル・モンテは疑いなくメキシコのパスティの本場であり、30の「パステ」製造業者がある。これには、メキシコ中の都市に店舗がある国内チェーン店も含まれる。例えば、Pastes Real del Plateros(パステス・レアル・デル・プラテロス)はレアル・デル・モンテに2店舗、近隣都市のパチューカには12店舗、メキシコ・シティには2店舗あり、パスティがメキシコでいかに人気かを示している。イギリスのパスティよりやや多くの種類がメキシコでは作られ、潤沢な唐辛子で風味付けられた肉とジャガイモ、黒豆、細切り鶏肉、ソーセージなどに加え、甘いパスティとしてはパイナップル、リンゴ、イチゴ、およびブラックベリーなどがある。Pastes El Portal(パステス・エル・ポルタル)には15種類のフィリングのメニューがあり、すべて9ペソ(2010年現在、約65.8円)で販売され、飲み物としてプルケ(リュウゼツラン酒)も販売されている。
※この「コーンウォール・パスティに影響された他の地域のパスティ」の解説は、「パスティ」の解説の一部です。
「コーンウォール・パスティに影響された他の地域のパスティ」を含む「パスティ」の記事については、「パスティ」の概要を参照ください。
- コーンウォール・パスティに影響された他の地域のパスティのページへのリンク