コノシロの由来とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > コノシロの由来の意味・解説 

コノシロの由来

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 14:41 UTC 版)

コノシロ」の記事における「コノシロの由来」の解説

慈元抄』では、コノシロの名称は戦国期ごろ「ツナシ」に代わり広まったという。大量に獲れたために下魚扱いされ、「飯の代わりにする」の意から「飯代このしろ)」と呼ばれたと伝わる。これは、古くは「飯」のことを「コ」や「コオ」といい、また、雑炊入れ煮付け(すし)の上にのせる魚肉なども「コ」や「コオ」といったところから。また『慈元抄』や『物類称呼』には、出産児の健康を祈って地中埋め風習から「児(こ)の代(しろ)」と云うとある。当て字コノシロ幼子代役の意味で「児の代」、娘の代役の意味で「娘の代」と書ことがある出産時などに子供の健康を祈ってコノシロ地中埋め習慣があった。また焼くと臭いがきついために、以下のような伝承伝わっている。 むかし下野国長者美し一人娘がいた。常陸国国司がこれを見初め結婚申し出た。しかし娘には恋人がいた。そこで娘思いの親は、「娘は病死した」と国司偽り代わりに入れ使者の前で火葬してみせた。その時入れたのが、焼くと人体焦げるような匂いがするといわれたツナシで、使者たちは娘が本当に死んだ納得し国へ帰り去った。それから後、子どもの身代わりとなったツナシコノシロ(子の代)と呼ばれるようになった富士山山頂には「このしろ池」と呼ばれる夏でも涸れない池があり、山頂にある富士山本宮浅間大社奥社祭神木花咲耶姫眷属である「このしろ」というが棲んでいるとされ、風神からの求婚を断るために女神がやはりコノシロ焼いて欺いたという同様の話が伝わっている。 また『塵塚談』には、「武士決し食せざりしものなりコノシロは『この城』を食うというひびきを忌(いみ)てなり」とあり、また料理する際に腹側から切り開くため、「腹切」と呼ばれ武家には忌み嫌われた。そのため、江戸時代には幕府によって武士コノシロ食べることは禁止されていたが、酢締めにして寿司にすると旨いため、庶民コハダ称して食した。その一方で日本正月には膳(おせち)に「コハダ粟漬け」が残っており、縁起良いとしても扱われている。 コノシロ漢字は、コノシロ秋祭の「」の材料として広く使われたことから魚偏に祭とした[要出典]。 また冬という字を使って」とも書く。

※この「コノシロの由来」の解説は、「コノシロ」の解説の一部です。
「コノシロの由来」を含む「コノシロ」の記事については、「コノシロ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「コノシロの由来」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コノシロの由来」の関連用語

コノシロの由来のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コノシロの由来のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのコノシロ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS