ケーディスの告白
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「ケーディスの告白」の解説
ケーディスは、白洲と長谷川の記録公開を受け、1989年、『日本国憲法制定におけるアメリカの役割』を書き、次のように2・13会談と憲法調査会の渡米調査の聞き取りにおける新事実を明かした。 ホイットニーの言葉を記憶していた人々は、ホイットニーが採った方法を恥ずかしく思っていると述べた。その方法とは、ホイットニーが、天皇制ではなくて、「天皇個人の処遇について脅迫的言辞を弄したこと」についてであった。特にハッシーは、1958年に、ケーディスとラウエルに対し、日本の憲法調査会にはこのことをまだ秘密にしておきたいと言った。けれどもラウエルは、松本がホイットニーの言葉を天皇個人に対する脅迫であると解釈したと聞くや、「1946年2月13日の出来事の記録」を日本の憲法調査会が利用し得るように取り計らった。 憲法調査会会長であった高名な憲法学者の高柳賢三は、その覚え書きを再検討し、さらに、松本とホイットニーの両者から話を聞いた後、「あの厳しい会談でのホイットニーの真の意図は、ありのままにかつ客観的に、冷厳な国際情勢を述べたに過ぎない」と結論づけた。高柳の結論は、その会談に出席していた2人の日本人担当官が、同時にしたためたメモで裏打ちされている。2人のメモのどちらにも、天皇の安全、あるいは個人に対する脅迫については触れられていない。 — ケーディス「日本国憲法制定におけるアメリカの役割」より。 GHQ草案が手交された1946年2月13日の場面において、ホイットニーが「脅迫的言辞」を弄したという、自分たちにとり不利な事実を敢えて明らかにした理由について、ケーディスは「もし本当に脅迫がなされたのなら、英語に堪能な2人の日本人担当官が両者とも、天皇に対する-個人に対する-脅迫について記し損ねたとはまったく信じられない。彼らの翻訳は、2月13日の面会のアメリカ側の見解を完全に裏打ちしている」と述べている。また、ケーディスはいくつかの歴史的事実を挙げ、ホイットニーの言辞は、天皇を戦犯裁判にかけようとする海外からの圧力の情報を要約し、日本側に忠告したものだとしている。 このとき〔1946年2月13日に〕ホイットニーが知っていて、日本側がおそらく知らなかったことは、1945年11月30日、統合参謀本部が、極秘の海外電信で、天皇が戦犯として起訴されることを免れないとマッカーサーに伝えたという事実である。統合参謀本部は、天皇が極東国際軍事裁判所で裁判を受けるべきかどうかを決定するための証拠を要求していた。さらに、ホイットニーが知っていて、日本側がおそらく知らなかったことは、面会の2週間前の1月25日に、統合参謀本部への秘密電信で、マッカーサーが、天皇を裁判にかけることに強い反対の立場をとったという事実である。ホイットニーが知っていて、これはおそらく日本側も知っていたことは、ジョージア州出身の有力な上院議員リチャード・ラッセルが、「日本のヒロヒト天皇を戦犯として裁くことが合衆国の方針である」と宣言し、上院に、共同議案を提出したという事実である。ホイットニーの言辞は、天皇を「戦犯裁判」にかけようとする海外からの絶え間のない圧力についての情報を要約し、日本側に伝えるものであった。つまり、ホイットニーは、たとえていえば、弁護士が依頼人に、もし彼の助言を拒否すれば、依頼人が陥ってしまうであろう重大な危険性について助言するように、日本側に忠告していたのである。 — ケーディス「日本国憲法制定におけるアメリカの役割」より。
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