クロムウェルの行動に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 10:02 UTC 版)
「ドロヘダ攻城戦」の記事における「クロムウェルの行動に関する議論」の解説
この虐殺はアイルランドにおいて悪名高く、続くクロムウェルの次なる行為、ウェックスフォードの略奪(en)とともに強く記憶されている。 クロムウェルは2つの方向からこの虐殺を正当化した。1つ目は、彼は[要出典]「多くの罪なき人の血に染まった手を持つ、これら哀れな野蛮人への神による正義の判断」と主張した。言い換えれば[要出典]、彼の行動は1641年のイングランド人とスコットランド人のプロテスタント虐殺への正当な報復であった。しかし、ドロヘダは1641年には陥落しなかったのに加え、またその年以降に続くアイルランド・カトリック同盟軍の兵ではなかったことから、この主張は説得力のあるものとはいえない。カトリック同盟軍が最初にドロヘダ入城を認められ到着したのは1649年で、カトリック同盟とイングランド国王派との同盟の一環であった。したがってドロヘダは、プロテスタント市民虐殺の原因とは決して考えられていない。 第2に、彼はそのような厳しい仕打ちは将来の抵抗とさらなる犠牲を防いだと主張した。クロムウェル側の動機としては中でも、終わりの見えない包囲戦で兵と時間を消耗することができないことにあった。これは条約に基づいて降伏したニューロス(en)、カーロー(en)、キルケニーやそれに続く都市では一定の効果があったかもしれない。加えて、国王派の司令官であったオーモンド侯ジェームズ・バトラーは、クロムウェル兵の恐怖が自身の指揮に影響を与えていること、それにより兵たちに防衛を行わせるのに苦労していることを記している。一方で、ウォーターフォード、ダンカノン (en) 、リムリックやゴールウェイといった都市は断固とした抵抗ののちに降伏しており、ドロヘダにおけるクロムウェルの恐ろしさは国王派の士気を下げる効果は全くなかったことを示している。 クロムウェル自身は、ドロヘダにおいて軍が市民を殺したことについて、「武装した[要出典]」ものだけを殺したと否定した。幾人かの歴史家における最近の分析では、クロムウェルの命令は当時の標準からしては例外的に残酷とはいえず、防御を固めた都市が降伏を拒否しその後攻め落とされた場合、慈悲を得る権利はなかった。地元のアマチュア歴史家であるトム・ライリーは、ドロヘダにおいて非武装の市民が殺されたという証拠がないとさらに論を進めた。そして、その虐殺のストーリーは、国王派と後のアイルランド人カトリック聖職者、そしてナショナリストによって長年にわたって行われてきた根拠のない主張であるとした。しかしほとんどのプロの歴史家は、ドロヘダの略奪で多数の市民が死亡したことは認めている。雑誌「ヒストリー・アイルランド (History Ireland)」のユージン・コイル(Eugene Coyle)による書評でもこの見方を退けている。 彼(ライリー)の主な命題である、クロムウェルはドロヘダやウェックスフォードで命を奪う道徳的な権利はなかっただろうが『しかし、彼の側からすればしっかりした規則を持っていたのは疑いない』、というのは考査に耐えられないものであり... —Eugene Coyle His general thesis that Cromwell may well have had no moral right to take the lives at Drogheda or Wexford 'but he certainly had the law firmly on his side' does not stand up to examination ... . —Eugene Coyle 歴史家のIan Genitlesは彼の本『New Model Army』で『公的な記録によれば、3100人の兵士が都市におり、うち2800人と、加えて多くの市民と見つかった修道士みなが殺された。最終的な死者数はこのようになるだろう...3500の兵士、市民そして聖職者。According to official estimates there were 3100 soldiers in the town, of whom 2,800 were killed, as well as many inhabitants and every friar that could be found. The final toll may thus have been... 3,500 soldiers, civilians and clergy』と記している。
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