クロアチアにおける俳句とは? わかりやすく解説

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クロアチアにおける俳句

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:11 UTC 版)

日本とクロアチアの関係」の記事における「クロアチアにおける俳句」の解説

1925年生まれ1952年から1990年にかけてザグレブ大学などで教鞭を執っていた数学者電気工学者のヴラディミル・デヴィデ(クロアチア語版)博士は、1970年からクロアチア作家協会クロアチア語版、英語版)に所属する文人でもあった。同年、デヴィデ博士は『日本の詩「俳句」、そして俳句文化的な枠組み』 (Japanska haiku poezija i njen kulturnopovijesni okvir) という俳句に関する著作出版したことを皮切りに俳句中心とした日本文化研究発表普及貢献し日本に関する研究書だけで10点上もの著作上梓した。また、デヴィデ博士1981年からクロアチア・ペン・センター(クロアチア語: Hrvatski P.E.N. Centar国際ペンクラブクロアチア支部)に所属し1983年には、俳句などの日本文化クロアチア広めた功績を讃えられて勲三等瑞宝章受勲している。後年世界俳句協会顧問なども務めた博士自身の手による俳句詩作は、日本文化数学に関する著作比べると数が少ないが、1990年代4点作品上梓している。デヴィデ博士日本人のご夫人残して2010年85歳亡くなったが、その名はヴラディミル・デヴィデ俳句賞 (Vladimir Devidé Haiku Award) などに今なお残っている。 ヴコヴァル出身文学者レネ・マトウシェク(クロアチア語版)も俳句影響受けたクロアチア人一人で、まだ彼が20代であった1980年代前半頃から俳句作り始めた。しかし、1991年8月25日連邦軍クロアチア語版、英語版)の軍事支援受けて戦車重火器武装する約36000人のセルビア人勢力ヴコヴァル攻撃仕掛けた。この戦闘開始されたことは、若き詩人マトウシェクの運命をも決定づけた。ヴコヴァル防衛するクロアチア人勢力守備隊は僅か2000人でしかなく、全く勝ち目のない戦いであったが、彼は町を捨てて逃げることを潔しとせず、ヴコヴァル踏み止まって無線町の状況知らせ続けた。だが、33歳のマトウシェクは11月20日最後に消息を絶った。マトウシェクは長らく行方不明とされていたが、2002年11月14日ザグレブ法科学鑑定研究所共同墓地埋葬されていた複数身元不明遺体から彼の遺体特定して1991年11月20日から21日にかけて連邦軍セルビア人民兵によって行われた虐殺亡くなっていたことが判明した同月22日、マトウシェクの遺体改めヴコヴァルの「クロアチア守護者路地」 (Aleja hrvatskih branitelja) に埋葬されることになった2008年彼の名前を記念した「レネ・マトウシェク」国際俳句会合が、クロアチア画家であり文人でもあるトミスラヴ・マリヤン・ビロスニッチ(クロアチア語版)によって開催された。ビロスニッチもまた、俳句影響受けたクロアチア人のうちの一人であり、これまで8点俳句詩集出版している。

※この「クロアチアにおける俳句」の解説は、「日本とクロアチアの関係」の解説の一部です。
「クロアチアにおける俳句」を含む「日本とクロアチアの関係」の記事については、「日本とクロアチアの関係」の概要を参照ください。

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