クロアチアへの帰還
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「アンテ・ゴトヴィナ」の記事における「クロアチアへの帰還」の解説
ゴトヴィナは1991年6月にクロアチアに戻り、Croatian National Guard (ZNG)を組織した。従軍経験を生かしたゴトヴィナは優秀な司令官となった。彼はスラヴォニアやノヴァ・グラディシュカで戦い、すぐに頭角を現してゆく。1992年にクロアチア軍が組織された際には大佐(Colonel)よりも上の准将(brigadir。現在はNATOの基準に合わせ、廃止されている)に昇進した。ゴドヴィナはヤンコ・ボベトコ(Janko Bobetko)やアント・ロソ(Anto Roso)と共にダルマチア地方を奪還し、1994年には少将の地位まで昇進した。 スプリトの general-pukovnik 及び commanding officer としてゴトヴィナは、セルビア人のラトコ・ムラディッチ率いる部隊からリヴノやトミスラヴグラード(Tomislavgrad)を守る作戦など、いくつかの重要な軍事作戦を指揮した。また、クロアチア紛争の嵐作戦を指揮しクライナ・セルビア人共和国の首都とされていたクニンを包囲し、3日で占領した(この時に少なくとも150人が殺害されたと見られている)。ゴトヴィナはすぐにミストラル作戦においてクロアチア軍とクロアチア防衛評議会(Hrvatsko Vijeće Obrane, HVO)からなる共同軍の指揮官に任命された。このため、クロアチアではゴドヴィナを英雄と見る向きも多い。 翌年、Army Inspectorate のチーフとなるが、クロアチアの新聞 Nacional に軍事クーデターを起こそうとしていると報道され、2002年に解任されている。新聞社のリポーター、イヴォ・プカニッチ(Ivo Pukanić)は、Army Inspectorate の関係者たちはIRA暫定派やETAといったテロリストグループに武器を供給していると告発したが、証明はされていない。
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