クロアチア代表の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:24 UTC 版)
「サッカークロアチア代表」の記事における「クロアチア代表の成立」の解説
クロアチアは、1991年にユーゴスラビア連邦から離脱する以前はユーゴスラビア連邦の一共和国であり、ナショナルチームはユーゴスラビア代表に属していた。 ただし、ユーゴスラビア代表は1980年代中頃からチームとして崩壊に向かっており、クロアチア出身の選手に対してユーゴスラビア代表に加わらないよう政治的圧力がかけられる事がしばしばあった。 こうした状況の中で1990年のワールドカップ直後にクロアチア代表が編成され、首都ザグレブにアメリカ合衆国代表を招いてクロアチア代表初となる国際試合が開かれた。この時点でクロアチアは独立していなかったが、連邦からの離脱はほぼ既定路線であった。翌年6月にクロアチアはスロベニアと共にユーゴスラビアから独立するが、ワールドカップ終了後に始まったユーロ92予選にはクロアチア、スロベニア出身の選手は参加していなかった。
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