クロアチア再征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 08:14 UTC 版)
「カールマーン (ハンガリー王)」の記事における「クロアチア再征服」の解説
カールマーンはハンガリーの対外国政策を変えた。それまでのハンガリー王は、クロアチアとの戦争に際しローマ教皇の代わりに神聖ローマ帝国の支援を要請してきたが、カールマーンは聖座との良好な関係を保とうと望んだのである。1097年春、彼はローマ教皇の同盟者であるシチリア王ルッジェーロ1世の王女フェリチアと結婚した。 そのすぐ後、彼は軍を率いてクロアチア王を宣言していたペータル・スヴァツィチ(Petar Svačić)と対戦し、グヴォズド山の東すそで決定的な勝利を納め、クロアチア王国を占領した カールマーンがクロアチア国内へ遠征している間、かつてラースロー1世の時代にクロアチアを治めていたことのあるアールモシュ公は、兄に対してハンガリーで反乱を起こした。そのためにカールマーンはダルマチア地方の町を占領することができなかった。しかし、貴族たちが内戦を避けることを望み、カールマーンとアールモシュにかつての取り決めを守るよう説得した。アールモシュは兄の支配を受け入れることで自身の公国を保持した。
※この「クロアチア再征服」の解説は、「カールマーン (ハンガリー王)」の解説の一部です。
「クロアチア再征服」を含む「カールマーン (ハンガリー王)」の記事については、「カールマーン (ハンガリー王)」の概要を参照ください。
- クロアチア再征服のページへのリンク