クロアチアでの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 05:53 UTC 版)
「第23SS義勇装甲擲弾兵師団」の記事における「クロアチアでの活動」の解説
1943年9月、「ネーデルラント」旅団はフェリックス・シュタイナーSS大将率いる第IIISS装甲軍団に加わるためクロアチアへ移動、第IIISS装甲軍団の司令部が置かれたAgramの北部に駐屯した。到着と同時に旅団はSS「ヴィーキング」師団で経験を積んだ古参のオランダ兵1,500名の補充を受けた。旅団のいた場所は常にチトーのパルチザンの脅威があったが、彼らはそこで訓練を完了した。 1943年12月末、旅団は新たな戦線に送る準備が整ったと判断され、シュタイナーの第IIISS装甲軍団と共に、ドイツ北方軍集団の担当地区であるレニングラード戦線オラニエンバウム(Oranienbaum)近辺への移動を命令された。このクロアチアにおいて「ネーデルラント」旅団は高い戦闘能力を示し、年末には第4SS義勇装甲擲弾兵旅団「ネーデルラント」(4.SS-Freiwilligen Panzergrenadierbrigade "Nederland")と改称された。また、この時点で旅団には小さい師団に相当する9,342名の将兵が所属していた。しかし、クロアチア出発の時点でも旅団が所有する重兵器はすべて未受領の状態であり、旅団に配属される予定の1個砲兵大隊に至っては編成が始まったばかりの段階であった。
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