クリスティー式戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 19:43 UTC 版)
「ジョン・W・クリスティー」の記事における「クリスティー式戦車」の解説
M1910から始まるクリスティー式戦車は、何より速度を重視する彼の特異な戦車用兵思想に基づいて設計された。この戦車は道路上では、キャタピラを外し、転輪を車輪にして、高速走行することができた。この特殊な構造の足廻りと、航空機用水冷発動機をもとにしたリバティーエンジンの大馬力で、M1928で非武装の状態で装輪111.4km/h、装軌68.5km/hという、戦車としては圧倒的な高速を発揮した。 それまで無関心であった米陸軍もこれには興味を示し、少数を採用したが、より大きな興味を示したのはソ連とイギリスであった。ポーランドも興味を示し購入を検討したが、入手に至っていない(後述)。1931年に、M1928の砲塔の無いデモ車であるM1940(M1931の砲塔の無い試作型であるM1930と呼ぶ資料もあるなど、名称に諸説あり)を二輌購入したソ連軍は試験を重ねて改良、リバティーの国産版であるM-5エンジンを搭載したBT戦車シリーズを生み出す。クリスティーは後に、ソ連に強力な戦車を作らせるきっかけとなった技術を売却してしまったことを後悔していると語っている。 英軍も輸入を試みたが「軍事機密」として米政府の今更な横槍が入り、農業用トラクターとして輸出申請したり、部品レベルにまで解体して偽装、ようやく入手できた。その後の研究開発により、A-13(Mk.III巡航戦車)からクリスティー式サスペンションを採用している。 この他、ポーランドは1930年にクリスティーから試作車とライセンス製造権購入の計画を進めたが交渉がまとまらず、公表されている範囲のクリスティ戦車とBT戦車の情報を元に国産開発に挑み、1938年にはオリジナルにはない独自の仕様を盛り込んだ“10TP”戦車として完成させ、更にこれを発展させた“14TP”戦車の開発計画を進めたが、1939年の第2次世界大戦開戦とポーランドの敗北によって計画は中止されている。また、日本でも九八式軽戦車(ケニ車)のサスペンションをクリスティ式様式に改めた“ケニ車B”を試作したが、当時の日本の冶金技術の低さもあり従来型のシーソー式の方が優れているとされ量産に至っていない。フランスが開発し試作に終わったAMX40(fr:AMX_40_(1940)(仏語版)でも、クリスティ式サスペンションを採用していた。 戦後に開発された量産型戦車でクリスティー式の足回りを持つ車両は、英軍のアヴェンジャーやチャリオティア等、大戦中に開発された戦車のシャーシを流用したもの以外には採用されていない。
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