キンタンポ周辺遺跡の交易と生業に関する遺物
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「キンタンポ文化」の記事における「キンタンポ周辺遺跡の交易と生業に関する遺物」の解説
キンタンポ文化の層はK1, K6, K8遺跡でプンプン相文化の上層で発見されているが、キンタンポ文化自身の文化層は、さらにK4及びK7でも岩陰遺跡として発見されている。特に残りがいいのがK6遺跡で遺物の量も多く保存状態も良好である。土器を詳しく研究すると2期に分けられそうであるが、それよりも特徴的なのは少なくとも漆喰壁の丈夫な建物はキンタンポ文化の後半期に建てられていたということである。Flight自身はK6遺跡で発掘区では直接建てられていた様子を検出することはできなかったがキンタンポ文化の後半期にあたる岩陰には焼け焦げた漆喰壁の塊が多量に積み重なっていることを報告している。 FlightはK6遺跡の調査成果について、交易と生業の二つの面から大きな成果があったとしている。石製品では、粉引き石以外はすべて外来品であって、特に100点近くに及ぶ石斧の刃は、先カンブリア時代の安定地塊の一部ビリミアン (Birrimian)累層群から産する石材を用いておりK6遺跡から最も近いバンダ丘陵の露頭から採取されたものである。石やすりやブレスレッドは、具体的にどの産地からもたらされたかはわからないがある程度推定することは可能であり、小型の土器についても同様である。特筆すべきなのは汽水性、つまり淡水と塩水が混って薄い塩水となるような川の河口か内湾に住むウミニナ科の巻貝ツノダシヘナタリ(Tympanotonus fuscatus) が発見されたことである。おそらく南方のAccra平野のキンタンポ文化の集落のうちいくつかがそのような交易をおこなってはるか北方のキンタンポ地方にもたらされたものと推定される。 動物の骨は、あまり多くはなかったがP.L.Carterによってその大部分が同定され、どのようにつかわれたかも判明している。家畜として小型のヤギや小さな種類の牛も発見されている。発見された骨の大部分はアンテロープ類のものである。小さな夜行性の種類を除いて狩猟、とくにわなをしかけることによって捕らえられたものと考えられる。プンプン相のように膨大な量ではないがカタツムリ類の殻も発見されている。 フローテーション法 をおこなってみるとさまざまな植物遺存体が発見できる。ササゲ (Vigna unguiculata)やアブラヤシ (Elaeis guineensis)は容易に識別でき、普通にみられるが、カンランの仲間であるアベルの木 (Canarium schweinfurthii)の実もわずかであるが発見された。またエノキの木の実も粉々になった状態でかなりの量が発見された。ただし、量的にはプンプン相時代よりも減っている。このような植物遺存体からわかることは、エノキやカンラン類おそらくアブラヤシも自生している可能性がある、ササゲは普通考えられるようにも多量に発見されてはいるが、いつ実ってさやが割れていない状態でいつから栽培されたかはわからないので厳密に言えばササゲすらも耕作によるものといいきれないという状態であって、農耕がおこなわれた可能性があるかもしれないというきわめてあいまいなことである。穀物類については、判別困難な炭化物が穀物であろう、そして可能性があるとしたらソルガム(サトウモロコシ)であろうとC.Flightは考える。現在キンタンポ周辺地域では穀物類やヤムイモの栽培は可能であるにもかかわらず、腐ってしまったり食べきってしまえるせいか穀物もヤムイモも遺跡から発見されていない。 キンタンポ文化編年表(主としてC.Flightによる)プンプン (Punpun)相1400B.C - 1450B.C 以前K1, K6, K8遺跡下層。カタツムリ類やエノキの木の実を多量に食料とする。 キンタンポ文化前半期1400B.C頃岩陰遺跡、開地遺跡(オープン・サイト、キャンプ・サイト)。K1,K6,K8遺跡上層、K4,K7遺跡など。アブラヤシ、ササゲ、アンテロープ類。エノキの実とカタツムリ類は減少。 キンタンポ文化後半期1300B.C.頃K6遺跡など。編み具細工の枝を芯とした土壁で方形の建物。ヌトレソで750m2に及ぶ集落。
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